―――刹那・F・セイエイに一ヶ月の謹慎を申し渡す。

 結局のところ、訓練プログラム以上のオーヴァユースと、最初に傷ついたと思われる右脚を庇うために躰が自然に平衡を取ったのが、左脚に必要以上の負担を掛ける原因となった―――らしい。
 らしい、というのは刹那がまったくもって不親切で非協力的な患者であったせいで、そこの辺りが判然としないからだ。
 現在、刹那は膝下を支える補助具と、クラッチを併用している。
「焦っても、躰がついてくるとは限らないよ」
 謹慎期間は安静期間と同義だと医療担当はいう。
 完治までは凡そ二ヶ月から四ヶ月。リハビリテーションは治療と筋力強化の両輪だが、組まれたメニューは唯でさえオーヴァトレーニングであった刹那には酷く物足りないものに思えた。患部以外を鍛えるにしても限度があるうえ、片足が使えない状態で左右の筋肉バランスを整えるのはそれなりに手間が掛かる。自分としては高酸素ルームでの回復よりも、低酸素状態での持久力維持を選びたいところだ。
「刹那、今日はそこまでだ」
 見上げれば、ロックオンが腕組みで立っていた。
 漸く自室での安静から訓練場への移動を許された刹那は、自分でも気付かぬうちにリハビリメニューを超えそうになる。親鳥だ飼い主だ、と喧しい周囲には注意を払わず、同室の男は有無をいわさぬ様子で立てかけていたクラッチを手渡してきた。彼が刹那に係わることを止める気配は、今のところない。
「―――前から思ってたが本気で馬鹿だろうお前」
 医療室のベッドで眼を醒ました時、刹那は一人だった。
 しんとした白い部屋に、カーテンを開ける音が響いた。タイミング善く、あるいは悪く、その向こうから顔を出したのはロックオンだ。
 彼は、そんな風に端的に、刹那の非を指摘した。
 ここぞとばかりに寝溜めしてんじゃねえのかと思ったという揶揄を目覚めの挨拶に寄越し、一通りの説教と、戒告とをくれて、まったく爆弾みたいな奴だよと呆れたように口にした。
 どうしてこの男はここにいるのか、と軽い混乱に見舞われる。悪い夢の端が滲み出したような、それを不安と名付けることすら出来なかった。
「なんで、あんたは」
「なんで?」
 すっと空気が冷えて、それが眼の前の男のせいであることを知って、何故だか足許に穴の空いたような錯覚を覚えた。
「お前が悪いんだぜ。自覚ないんだな」
 彼は笑っていたが、凍てついた水の色の眼は笑っていなかった。それが間違いではなかったと教えるように、ロックオンは薄い寝具越しに刹那の左脚に触れた。
 唐突さと、薬のせいで曖昧だった身体感覚に、腫れ上がっているのだと知れるそこだけ芯が通った。ざわりと重い躰に悪寒が走る。
「触れるなって、いえばいいんだ」
「……っ止めろ」
「いやだね。可哀相なもんだぜ、ご主人様に見限られちまってさ」
「何を」
「お前が捨てるっつうなら俺が拾ってやるのに」
 徐徐に還ってくる感覚は氷針を幾本も刺し込んだような、奇妙な熱さを訴えた。それが薬の残滓であるのか、それとも身の内に冷気を飼った男の長い指が触れるせいであるのかは判らなかった。
「お前が捨てるものは、俺が拾ってやるよ。解るか、刹那」
 解りはしない。解るものか。刹那はロックオンの思考を追えない。誰の思いも掴めない。恐らく自分は酷く欠けた人間であるのだ。決して正円を描くことのない歪な塊であるのだ。
 ここにいる刹那は、ただの残骸なのだ。
 あんたは理解不能だ、と何度も口にした覚えのある言葉を、かつてない強さで投げつけた。唐突に芽生えたそれは過剰ともいえる防衛反応だった。今更、何を守ろうとするのかも不明な棘だった。内に向かうそれの追い詰められた反転形だった。どうして追い詰められているのかも知り得ないまま。
 酷く醜いと思った。
 断絶を示す語彙はしかし男に影響しない。少なくとも、表面上は彼は笑みを深くしただけだった。左脚を掴む力が強くなる。
「拾って、二度と返してやらない」
 鋭く透明な針が肉を貫き神経に達した。呼吸すら難しくなって、刹那は呻いた。それが、余りに明瞭な<痛み>だったからだ。重い躰を鈍い頭をはっきりと目覚めさせる痛みだったから。
「そしたらお前、少しは惜しいと思うだろう? それとも、全部取り上げないとお前には解んねえか?」
「ッロック、オン」
「だってそいつは、本当はお前のもんなんだから」
 痛いのも苦しいのもぜんぶ、お前のもんだ。
「でも―――お前がいらないっていうなら、仕方ねえ。お前は好きにすりゃあいい。だから、俺も好きにするぜ。お前が要らないんだって捨ててくもの、片っ端から拾って拾い集めて、お前が嫌がっても許さないで見ろよこれがお前の心臓なんだって、眼の前に突きつけてやる。なあ刹那」
 男の手が患部を離れたのだと気付く前に、同じ指が刹那の顎を掴んだ。
 水の色を映した双眸が、何もかも呑み込むほどに近くある。
「俺はお前が嫌いだよ」
 ―――ああ、きっとそうだろう。
 鈍い躰に巡る血液は心臓を凍らすほどに冷たかった。



2008/02/07 LIZHI
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