「成長に必要なものは何だと思う? 哲学をやりたいんじゃないよ、躰の話だ」
 炭水化物、蛋白質、脂質、ビタミンミネラルその他の栄養素。
「それと適度な休養、睡眠だね」
 今回の件だけではなく、刹那の躰がそもそも成長阻害を起こしている可能性を医者は告げた。あの年齢ではまだ筋肉よりも骨の成長のほうが先なんだ、と。
「骨と筋力の発育が不均等だということは、様様な外圧を受けやすいということでもある。人体の部位で骨は特に硬く変化の少ないように思える部分だけれど、本当は常に破壊と形成を繰り返している。造骨と破骨はセンシティブなバランスの問題なんだ。形成される以上の負荷によって破壊され続ければ、造るほうが追いつかなくなる。彼のような発展途上の身体においては、成長工場である骨端の造骨そのものがストップする。これは修繕どころじゃないね」
 破骨に追いつけなければバランスは崩壊する。加えて刹那は同年齢の人間に比べ、睡眠の時間も質も足りない。つまり傷ついた細胞や筋肉の再生に必要不可欠な、成長ホルモンの分泌も同様に不十分だ。
「それは君のほうがよく知っているだろう?」
「だとしたら、刹那の足はどうなんだ」
 急かすねえ、と間を置いた後、左下腿骨骨折、の寸前だったよと医者はいった。ロックオンは文字通り言葉をなくした。恐らく最初は小さな違和感だったろう。それを無視して平衡を崩したまま過剰に運動を続けた結果であると、医者はなんでもないことのようにいう。
「その前に熱が出たのはまあ、我慢強すぎる本人への躰側の叛乱とでもいおうかな。不幸中の幸いというべきか、いっそ折れたほうが身のためだったかも知れないねえ」
「んな」
「軍人、まあ君たちは軍人ではないんだろうが、そうした職種にある人間に骨折、疲労骨折の類は別に珍しいことじゃないよ。痛みを我慢して訓練を続ける人間も、それで後遺症を残す人間も少なくは無い。だから問題はそこじゃない」
「あいつは、解ってて放置したってことか?」
 さてそれはどうだろうねと、医者の視線が衝立とカーテンの向こうに転じた。薬で眠った刹那をベッドに移動させたのは、端末で呼び出されたロックオンだ。医務室に踏み込んだ途端、ああ少しは増しな顔つきになったじゃないかといって笑われた。
 これは僕の想像でしかないが、と断って続ける。
「痛みはかなり慢性化していたはずだよ。それこそ、もう少しでぽきりといってしまう位には無理を重ねていたわけだ。既に炎症による腫れが出ていたしね。しかし、彼がそれを正しく認識出来ていたかといえば、どうにも怪しいところだと思うよ」
 どうやら彼は想像していた以上にバランスの悪い人間のようだね。
「多分、あれは痛みを我慢したんじゃないんだろう。文字通りの無視だ。まるで回路を切断したんじゃないかと思う位だね」
 それはまるで最終宣告のようにロックオンの耳に響いた。半分も意味を取れないようで、本当はどこかで知っていた気がする。医者もまた、そんなロックオンの感覚を敏感に捉えているように思われた。戻ったはずの掌の温度が、また失われていく。
「痛みは、痛みだろうが」
「そう、消えてなくなったりはしない」
 君の責任だなどとは思わないことだ、と医者はいった。素直に聞き入れることは出来そうになかった。
「なんで、あいつはそんな」
「残念ながら僕は専門の精神科医ではない」
「主治医だろ」
「不眠症も治せないような藪のね。睡眠剤の処方は拒否されてしまったし。そもそも彼の場合、薬効の期待出来る二週間で効果が出るとも思えなかったから、君に任せてしまったわけだ」
「じゃあ、俺も藪だな」
 今は痛み止めと鎮静剤の効果で眠っている刹那。きっと起きたらひと悶着あるだろう。
 長引きそうか、と声に出した。答えを聞くのが少し怖かった。そうだったときの刹那の反応が、彼に与える影響が怖い。自業自得だ、といってしまうには、ロックオンは刹那に入り込みすぎている。
「どうかな、頑固そうな子だからなんとも」
「頑固ね」
「治った、とか」
 痛くない問題ない平気だ、そういうことを直ぐにいいそうでしょ。如何にも刹那の口にしそうな科白に、彼にいわれたわけでもないのにロックオンは肩を落とした。
「いうな、絶対」
「そうでなければ、無言で押し通そうとするだろう。そういう我侭を大人は許しちゃいけないよ」
 俺は保護者じゃないんだろうが、と追い出されたあてつけにそっぽを向けば、そうだねえと返された。お前も子どもだといわれたようなものだ。話し合いに限りをつけて、医者は自分の仕事に戻り、ロックオンは刹那の眠るベッドへ足を向ける。呼びかけられて肩越しに振り返った。
「そういえば、君が見つけたとき彼はどうだった?」
「どうってのは」
 答える前に返事が寄越された。それを、どう受け止めればいいのか勘案している間に、医者は部屋を出ていった。僕の時はね、脚を掴んでも呻き声ひとつ上げなかったんだよ。
 医療室のベッドの上で、初めて見るに等しい少年の寝顔は酷く静かなものだった。静かに過ぎて、見慣れぬロックオンに不安を掻きたてる。勝手なものだ。
「刹那」
 微かに眉根が動いたようだった。
 お前、実は寝ている時のほうが素直なんじゃないのか。そんなことを思いながら、椅子を引っ張ってきて枕元を覗き込む。狸寝入りではなく、瞑目して休むのでもなく、こうして見下ろしても穏やかに眠っている刹那というものが、どこか信じ難かった。
 まるで眠りの中でさえ、痛みをなかったことにしているようで。
「痛いなら、いえよ」
 ―――例えば、哀しいとか、辛いとか、そういうことをいえるならロックオンはきっと彼を甘やかして、いつか置いていけるのだ。何の憂いもないままに。
 傷を負って痛いといえない人間は孤独だ。
 けれど、彼が何でも一人で抱え込む人間だということを、他に方法を知らぬのだということも、解っていた。
 刹那の異変を意識のどこかで察知しながら、ロックオンは彼の言葉をこそ待っていたのだろう。
 少しは近付いたものだと思っていたかった。無意識であればこそ、性質が悪く救いようが無い。勝手なことは承知の上だ。
 それでも刹那。
「痛いくらい、いえ」
 今ここにいる俺まで、なかったことにしないでくれ。


2008/02/07 LIZHI
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