ロックオンの飼っていた半野良は、結局、飼われてなどいなかったのだ。
世話になった、と一言残していくあたり、本物の野良猫よりはよっぽど義理を通している。しかし野良に構う人間は義理を通されるより、生意気でもそこにいてくれるほうを喜ぶものだろう。口では何といおうとも。
居なくなれば寂しい。
つまりは―――そういうことだ。
自分が存外な寂しがりだったなどと考えたことも無いが、そういうことだと理解した。
刹那の夜間不眠症については上に報告していない。
ロックオンは、その件をアレルヤに話しておくべきか逡巡した。彼は信用出来る青年だ。
戦闘員であればこそ、睡眠もまた仕事のうちである。上に伝えろと忠言してくるかもしれないが、こちらに黙って報告することはないだろう。結果的に黙認という態度を選択する可能性は高い。我ながら厭な計算をしているが。
しかし、刹那が自主的に話すとは考えにくく、事が抉れる前にロックオンの口から伝えたほうがアレルヤの態度も軟化し易いだろう。
そういうことを、延延隣室のドアの前で思量している訳だ。
―――阿呆の極みだな。
これが他人であればいい加減に眼を醒ませと尻を蹴飛ばしてやるところだが。如何せん現在ロックオンの背後に友人知人上司は存在しない。
「おい」
いたのは、昨日までのルームメイトだ。
「ぅおッ、驚かすな」
「―――あんたがそこを退かないと、俺が中に入れない。一分待ったが変化が無いので声を掛けた」
文句をつけておいてなんだが、律儀にもほどが在る。
「あのな、意識飛ばしてる相手に一分も待たなくていいぞ」
別に、尻を蹴ってもよかったが、という刹那は割と本気だ。
「どこに」
飛ばしていたんだと尋ねられて言葉に詰まる。大体、刹那が個人的な質問をすること自体が珍しい。と考えて、つい最近、似たような事例があったことを思い出した。質問返しになっていることに気付かずに。
「刹那、お前この間何を」
「ええ本当に何をしているんですか、貴方がたは」
アレルヤ―――刹那が振り返って彼の名を呼んだ。二人に呼びかけた筈の青年は、片割れであるロックオンをさらりと無視して、刹那にだけ困ったように笑いかけた。温厚そうな彼がやると大変に説得力がある。
「刹那、彼のことは気にしないで先にシャワーを浴びておいでよ。ロックオンは僕に用があるみたいだからさ」
ね、とアレルヤは穏やかに微笑む。迷いをみせた刹那も彼の言葉に 「わかった」 と頷いた。
いわれてみれば二人とも、トレーニング後らしくタオルを掛けている。そんなことにも気が回らなかったのかと、ロックオンは軽く落ち込んだ。
「じゃあお隣借りていいかな、ロックオン」
「あ、お、おう」
自分の部屋だというのに前をいくアレルヤを追い掛けたロックオンに、背中から 「おやすみ」 の声が掛けられた。振り向いた時には刹那の姿は部屋の中に消えていて、ロックオンのおやすみは受け取ってもらえないまま廊下に空しく落ちた。
―――何やら、妙なことになっている。
刹那はほとんど物を持ち込まず、また最初の状態から増えもしなかったので、使う者のいないベッドが置いてある以外、ロックオンの部屋はすっかり元に戻っていた。
ベッドもそのうち撤去されるか、あるいはまた駐留人員が増える場合は二人部屋体制に移行するのかもしれないが、その辺のことは今は関係のないことだ。
「ええ、そのなんだなアレルヤ」
当初の予定通りではあるが、予定と大分違う成り行きに戸惑うロックオンの言葉には取り合わず、アレルヤは相変わらず部屋主を後ろに従えた状態だ。普段遠慮がちな青年がざかざかと他人の部屋に上がる様はなんとも不安を覚えさせる。
「長くなるなら先にシャワー貸してください。躰が冷える」
「は? お前着替えは」
「刹那にお願いしようかと」
「はあ?」
じゃあお借りしますよと、とシャワールームのドアを閉めた彼の態度は気のせいだろうか、険がある。それは、先程顔を合わせてからずっと続いているものだ。例外は刹那に見せた微苦笑だけ。ロックオンは余り遭遇したことのない同僚の温厚以外の顔に、認めたくないのだが気圧されていたのだと、彼の姿がドアの向こうに消えてから気が付いた。
そして、さっき気付いたばかりの疑問の答えをまたしても聞き逃したことにも気が付いた。
もしかして割って入ったのは態とだったのかと、先程のアレルヤを見れば思えてくる。勿論、刹那の躰を気遣ったのは本当だろう。トレーニングには熱心なのに、自分の躰を大事にする意識の薄い刹那は、ロックオンとも似たような会話をやり取りしていた。
最初は 「しかし」 とか 「だが」 とか口答えしていた刹那も、確かにそれが必要だと納得すれば 「わかった」 というだけでなく実行するのだとロックオンが理解したのは、共同生活が始まって間も無くだったように思う。
刹那は、基本的に手の掛からない同居人で、彼がいるとかいないとか意識することはなかったが、特に会話がなくても気にならない相手ではあった。ロックオンは自覚的自己演出派の社交屋だから、部屋にまでそれを持ち込まされては疲れることは間違いない。
そういう意味で刹那は、理想的な同居人だったのだ。あの癖さえなければ。
そしてあの癖がなければ、刹那をこれほど気に掛けることもなかったかも知れない。
そんなことにも今更気付いた。
シャワーの水音に混じってアレルヤのこちらを呼ぶ声がこもって反響する。
「刹那にいって僕のバスタオルと着替え、持ってきてもらえませんかねえ」
「んだとお?」
「いいじゃないですか、それでお話は聞いてさしあげますよ」
一寸待て、性格変わってないかお前。
結局、自分の部屋から追い出されたロックオンは、隣に行くしか方法がなく。今度は正当な理由があるのだからと中にいるだろう刹那を呼んだ。呼んでから、彼も今まさにシャワー中なのではないかという壁にぶち当たった。
「内線」
案の定、濡れ髪のままドアを開けた刹那の訝しげな視線に晒されて、忘れていた存在を思い出す。笑って誤魔化すロックオンに、刹那ははあ、と肩を落とす溜め息で中へと誘った。
「入れ」
「いいのか」
「あんたがまたドアの前でぼうっと突っ立っている心算なら、止めない」
「すまん、入れてくれ」
基本的にロックオンの居室と同じつくりの部屋である。違うのは最初からベッドが二つ用意されていることだろうか。
もしかしたら、初めからこの辺りの部屋は、将来の人員増を考えて二人部屋として用意されたのかも知れない。
刹那は相変わらず乱暴な仕種でわさわさと髪を拭っている。
「必要なのはアレルヤの着替えか。部屋着でいいのか」
「あとバスタオル」
「それは―――まだ届いていないな。手違いかも知れない。俺のは使ってしまったし、替えは朝まで無い。ランドリーに行くか、すまないが、あんた貸してやってくれ。確か予備を持っていただろう」
一度だけ貸したことのある私物を刹那は覚えていたらしい。
クローゼットを開け、意外にてきぱきと用意を整える彼は、すっかり部屋に馴染んで見えたけれども。
「ロックオン?」
「アレルヤ・ハプティズムじゃないのか」
「何」
「あいつは、アレルヤ・ハプティズム、だろう、刹那」
「当たり前だ、何をいっている」
何を。
彼に、何を伝えればいいのだろう。
明確に名付けられるようなものを一つも持たずに、ロックオンはただ持て余しているだけなのだ。どこから湧いたかも知れぬ感情を空恐ろしくさえ思って。
「……あんたは、さっき訊いたな」
この間何を、だったか。あんたがいったのは。
「俺が、スメラギ・李・ノリエガの部屋の前であんたにいったことが、この間、で合っているか」
「刹那?」
「合っている、と仮定して。俺が聞きたかったのは、今と同じことだ」
ロックオン・ストラトス。
「あんたは一体、俺の何に、それほど怒りを感じている?」
2008/01/28 LIZHI
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