「ああロックオン、刹那・F・セイエイはどこにいるかな。君と同室の」
―――最近こういうのが増えたと思う。気のせいでなく。
「よう調子はどうだ、飼い主」 とか。
「ジムでまた過負荷トレーニングやってたぞ、止めなくていいのか」 だとか。すれ違いざまに声を掛けられるその大半は刹那絡みだ。実際は自分に対する用件だろうと、彼等は何だかんだいい足さずにはいられないらしい。
切欠がラッセの一言であったのは疑いない。ロックオンは近頃、組織構成員の口の軽さに些か不安を覚え始めている。
こちらを揶揄いたいだけなら兎も角、当たり前に保護者認定される現状は憂うべきだろうか。
「俺は別にあいつの親じゃないんだが」
「そうかい、なかなか微笑ましいって噂じゃないか」
「微笑ま、ってアレがそんなたまかよ」
本人が聞いたら冷たく気配を研ぎそうな科白に絶句する。
ロックオンを呼び止めた医療担当は、こちらの被った衝撃などお構いなしだった。岡目というのはいつだって気楽なものだと身に沁みる。
「丁度いいから君にもお願いしとこうかな。実は少少困っていてね」
戻っていたのか、と冬芽色の眼が濡れ髪の隙間からこちらを覗いた。
「先に借りた」
「おう」
シャワーを使った刹那がものぐさな様子でもってタオルで頭をかき回す。彼の仕種はお世辞にも丁寧とはいえないものだ。同室になってこちら、少年の髪がしょっちゅうあちこち飛び跳ねている原因は容易に知れた。尤も、ロックオンとて人のことはいえない。哀しいかな、グルーミングに気を使う生活でもなし。
施設に女気が皆無というわけでもないのだが。
「そういえば刹那」
お前最近メディカル・チェックアップさぼってるんだってな、と。
昼間、医療担当にいわれたままを口にすると、刹那は特にしまったという顔をするでもなく、淡淡と応じた。
「そうだったか」
「だよ」
毎朝、正しくは昼夜問わずシフトによる本人にとっての起床時に義務付けられているメディカル・チェックアップは、指先一本で血圧及び心拍数その他、ストレス数値まで解る。ロックオンが気付かなかったのはその簡便さのためで、気にもしていなかったというのが実情だ。
「『若いからって過信する気持も解るけど、一応義務なんだからしっかりしてくれないと困る』 そうだ。妙なことで評価下げんな」
「善処する」
「どっかの政治家かお前は」
―――こんな会話のどこらへんが微笑ましいんだか誰か教えて欲しい。
「? まだ何か」
「や、こっちの話だ。おやすみ」
おやすみと平坦な声が、入れ替わりにシャワーに向かうロックオンを追いかけた。
灯りを落とした室内で傍らの端末が蒼白い光を映している。
刹那のようにはいかないロックオンは、そこそこ問題のない程度に乾かした髪を緩く括って、ベッドの上で壁に背を預けていた。
二つあるベッドのもう片方。ブランケットの下、丸っこくなって眠る刹那の背中は何だか余計に小さく見える。ロックオンがシャワーを出た時から、彼は壁を向いたままだ。
―――飼い主、ね。
我ながら、余り歓迎出来ない状況だ。
馴れ合うのは善くないだとか、情は必要ないだとか、極端で杓子定規でその実人間味溢れる意見に賛同したいわけでもないが。
唯一の救いといえば、周りが考えるほどには刹那自身はロックオンに懐いてなどいないということだろう。
「刹那」
返事は無い。眠っていると一生懸命背中で主張しているようだ。
端末の電源を落としてベッドを降りる。足音は消さなかったが、それでも彼は動く心算がないらしい。
もう一人分の荷重を受けて刹那のベッドが僅かに沈んだ。
「起きてるんだろう、刹那」
屈みこむ様にして囁いた。それでも無言、無反応。ロックオンはとうとう苦笑した。変なところで素直でいながら、呆れるほど強情な奴だ。こんなに警戒して、気配は酷く緊張しているくせに。
「なら、それでいいさ。これは俺の独り言として、聞いとけ」
あんま好きじゃないんだが、監督者権限でお前のこれまでのメディカルデータを見せて貰った。
驚いたことに、懲罰房ですら刹那の反応は平時と変わらず、ほぼ一定値を越えるということがなかった。それが大きく変化したのは、ロックオンとの部屋に移った最初の朝。ストレス反応が大きくレッドゾーンに寄り、心拍数値も不自然な上昇を示した。医療担当は環境の変化による、ごく一時的なものと考えたらしい。最初だけならロックオンとてそう思っただろう。
「けど、そんなデータが出続けることが解っていたから、お前は忘れた振りをしたんだろう」
なあ違うか、刹那。
ロックオンはベッドに腕をついて、寝具と髪に隠れて顔の見えない刹那を覗き込む。
「それとも、古い記録のほうも調べたらいいか」
ぶん、と細い腕が頭の横を掠めた。
ロックオンは漸く返された彼からの反応を、逃がすまいと強く掴んだ。
ぎり、と育ちきれない腕骨が悲鳴を上げるようだ。指の痕がつくかも知れないな、とぼんやり思う。
「顔、上げろよ。まるで俺が苛めてるみたいじゃねえの」
そういわれて漸く、今は暗く沈んだ冬芽色の瞳がロックオンを捉える。それに酷い充足感を覚えたことは否定しない。古い記録、ここに来る以前の。そんなものを調べる手段など自分にはない。昏い淵に浮かんでいるのは俄かに眼を醒ました攻撃性と、恐怖を思わす何か。なあ、と漸く起きた刹那に呼び掛ける。
彼は一体、何にそれほど怯えているというのか。
「お前、ここで眠れてないんだろう」
絶望に似た顔をするのは、どちら。
2008/01/28 LIZHI
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