刹那の脚が横倒しになった相手の首を極めている。蛇のように。
体格に勝る対戦相手のナイフは刹那の初太刀で宙に飛んだ。それは、弾くというより回転を掛けた抉り取るような動きに見えた。
手合いをやめず、丸腰で向かってくる相手に刹那は刃を捨てる。掴みかかる腕は瞬時に叩き落としたが、手刀を入れた左手を相手の左が捕まえる。手首を取られたまま腕を畳み、掴む腕が伸びきったがら空きの懐に飛び込み鳩尾を打つ。苦し紛れの蹴りを躱し、少年は小さく跳んだ。
空中で捻りを加えたしなやかな脚が首を捉えた。
そこまで!
だん、とマットに押さえつけられた男の上で、煌く白刃。刹那は合図とともに何時の間にか拾い構えていたナイフを退いた。
くそ、どけよ!
……ああ
立ち上がって背を向けた少年の薄い肩に、堪え兼ねたらしい男が掴みかかって次の瞬間弾かれる。手にはナイフを握り締めたまま。
刹那が何かを呟いた。口の動きでしか確認できないほど、低く小さな声で。
※
「―――俺に触れるな、か」
そりゃあ矛盾してるってもんだぜ、刹那。
ロックオンは借り出した映像を見終えて、何ともいえず嘆息した。隣室にいた彼が唐突に懲罰房送りになった経緯が知りたかった。
理由ならば知っている。対戦外でナイフを使用し相手に怪我を負わせたから。
「皮一枚で大げさな、ってわけにはいかねえんだろうなあ」
実際は二針縫った。大体、ナイフ戦なら刹那が相手の得物を奪った時点で勝負ありだ。懲りずに向かって行ったほうを止めるべきで、そうしなかったのは、より実戦に即した模擬戦、といえば聞こえはいいが些かなりと恣意性を感じずにはいられない。最初の洗礼の心算が返り討ちにあったというなら、この結果は向こうにもばつの悪いことだろう。
「さて、どうするかねえ」
いってしまえば、無関係。
同じく訓練を受けた人間として見ても、刹那の体捌きは読み難いし独特だ。完全に独学かと思えば型らしきものもある。師についたか見覚えたかまでは判断の外だ。ロックオンが生身で経験してきたのは主に銃器の取り扱いで、白兵戦の訓練を積んだところでああはいかない。
恐らく、実戦を知っているのだろう。
最初に出会った彼の眼に感じたものは勘違いではなかった。あれは、人殺しを知っている眼だ。今でも時折鏡の中に浮かぶ己と同じものだ。より屈折が大きく見通せないというだけで。
ソレスタルビーイングは綿密な調査を行ったうえで、彼等が欲する技能を持った人間を主としてスカウトしているらしい。戦闘員のみならず技術者も同様だ。全てを一から鍛える新兵とはわけが違う。だからこそ癖のある人間もまた多い。
故に彼等の間には一定の距離感というものがあった。世界に喧嘩を売る組織は間違っても仲良し集団ではない。
刹那の反応は激烈だが、ありそうなことでもある。
体格差の不利にも拘らず、ナイフを奪ってからは制圧は体術のみで行った。周りにも相手にも終わりだと示すために刃を構えた。倒された方がどう感じたかは兎も角、刹那は充分に理性的だった。実戦であれば武器を無効化した相手には止めの一撃以外、必要無いのだから。
最後のそれだけが彼が感情らしきものを垣間見せた瞬間で、懲罰の対象だった。
「おーい、お食事だ」
房の中、簡素なベッドの上で刹那は片膝を抱えたまま、随分長いことそうしているようだった。房内では読書どころかトレーニングさえ不可だから、実際何もすることがない。時にはそうした場面で瞑想に耽る奴もいるが、そういうのは寧ろ例外特殊な事例だ。恐らく、見た通りぼうっとしているのだろう。
時間通りの配膳に違う人間が現れたことが不思議なのか、カメラのむこうの刹那は訝しげに印象的な眼を眇めた。
「ロックオン・ストラトス。どうしてお前が」
「いやあ、罰喰らってへこんだ顔見とくのも悪くないだろうと思ったんだが、さっぱり変わらんなあ、お前さんは」
刹那はふと口を開けて何かいおうとしたらしい。いつものように無感動な 「そうか」 辺りを待っていたロックオンは、溜め息を吐くという高等技術を披露されて眼を瞬いた。それだけでなく、あんたは理解不能だ、とまで。
「話し相手がいなくて寂しいのか」
「何でそうなる」
これはこれで、静かでいい。
やっぱり口数が多いぞと思ったが、拗ねて飯を喰ってくれなくなっても困る。トレイを房の中に送るとロックオンの仕事はなくなるのだが、外から壁に寄りかかったまま、彼が食べ終わるのを待った。食事時間が極端に短いのは食堂で見て知っている。急かされているようで消化に悪いなどという、繊細な科白は吐きそうにない。
当事者の誰もそうはいわなかっただろうし、弁明の一つも口にしなかったという刹那には不本意だろうが、あれは半分事故のようなものだろう。気の立った野良に構おうとして爪を出されたに過ぎない。
トレイを返す少年は黙ったままだが、機嫌が悪いようではなかった。苛立つようにも見えなかった。余りに冷ややかに凍てつくように思われた。
だからロックオンは、彼に伝えてみる気になった。
「事故だよ、あれは」
けれど刹那は首を振るでもない。
「俺のミスだ。理解している」
「そっか」
「あんたに」
「ん?」
何でもない、と、いって刹那は、初めと同じようにベッドに戻って先程までの自分の影をなぞるようにまた片膝を抱えた。ひたりと人形のようになってしまった彼をおいて、ロックオンは固く閉ざされたドアを離れた。今なら彼が瞑想をしているのだといわれても信じそうな気がした。
乱してみたかったのかとは、後で思ったことだけれど。
2008/01/28 LIZHI
No reproduction or republication without written permission.
CLOSE