捏造未来系『さよならサンタマリア』の流れです。
未読ですとけっこう意味不明かもしれません、あしからず。

ある悲喜劇

 損したなあと、思うことがないではない。
「……で、いつまで見てんだ」
「んー、飽きたら帰るよ?」
 だから気にしないで続けてといわれても。出来ることと出来ないことがあるだろう。親方にいわせればそれもこれも自分が未熟だからということになるのだが。
 にこにこと工房の端っこの、どういうわけか脚が一本短くて据わりの悪い木椅子に腰掛けて彼はカップを傾けている。まるきりそこがどこぞの城の上等なソファであるかのようにゆったりと寛いで。そのくせ妙に馴染んでいる。どんな場所にも当り前に存在出来るのは才能だろうか。
 親方の淹れるカッフェが好みなのだと微笑んで、中身の半分はミルクで割っているのは自分にこの職場を斡旋した青年である。冬の頃、綺麗に色づいたタロッコを手土産に、やあと陽気に現れた時の衝撃を何と表して良いものか。
 癖の強いヘイゼルの髪、きょろきょろと良く動く大きな眼。キャップで顔を半分隠せばそこらのハイティーンより幼くみえるがあるべき場所ってものに立つとこの男は化ける、どうやら。
 お陰で一時は二度と会うこともないのだろうと思いもしたが。
 よくよく考えてみれば、彼はもともと親方の知己なのだ。少し頭をめぐらせれば判ることがさっぱり判らなかったことに呆れる。一度の邂逅があんまり印象強くて、思い出したくもない二度目は到底会ったとはいえないものだから、そんな風に考えてしまっても無理は無かろうと自分で自分を慰めているわけだ。
 そんな相手がのほほんと昼間の猫のようにそこにいる。
「今日のはオレが淹れたんだけど」
「うん、ミルクが多め。ありがとう」
「……いっそミルクを飲めよ」
「それだと友達と被るんだ」
 や、今は酒かな。エスプレッソが飲めないわけでもないよといい訳がましいことをいう、この男の口から友達なんて言葉が出るのが相当びっくりだ。そりゃあいても当然だろうが、見たことがあるのはいかにも彼を下にも置かないといった部下然とした男たちばかりであったから。
 とてもそうは見えないが、この男が結構偉いんだということは薄々知っている。
 だからこんな状況はあり得ないことなのだ。仕事場はどれだけ掃除しても粉っぽいし、埃っぽいし、けれど未だ下働きばかりとはいえ、親方について働いて飲むカッフェや粗末な飯が嘘みたいに美味いのは確かなことで、彼がここにいるのも本当だ。
 どうにも慣らされているのだろう。
 やっぱり最初が悪かったんだと意識を手元に戻した少年の後頭部で、すこん、と非常に良い音がした。声も無く唸りながら頭を抱えてしゃがみ込めば柄の取れたブラシが足許に落ちている。畜生。
「何失礼なこと考えてんのさ」
「っ口でいえ!」
 片手にカップ、もう片手を軽く振り抜いた形に伸ばしたまま、彼は謝るでなく唇をひん曲げてこちらを睨んだ。どこのふてくされた餓鬼か。一体どれが失礼だったんだと口に出したはずもない思考を読まれて怒鳴りながら俄に焦る。
「君が判り易いんだよ」
「だから読むな!」
「読んでないって、あいつじゃあるまいし」
 蟀谷の辺りがひくりと動いたのが自分で分かった。
 またそれかよ、とはいわない。
 青年の話す言葉の端々にぼんやりと、お化けみたいに現れる<あいつ>とやらがどんな奴かを訊いたことはない。訊いてもどうせ分からないし、何であれろくな相手じゃなさそうだ。はっきりしたことなど何一つないけれど、思うに彼の周囲にはろくでもない奴ばかりが揃っている。並べてみればきっと変人の見本市が出来上がるに違いない。分かるのは、あいつがけして彼の<友達>ではないということだけ。
「つうかアンタ、用が済んだら帰れよ」
 今日はもうオヤジ戻って来ないぞと、邪魔な犬を追いやるみたいに手を振れば男はびっくりしたように眼を瞠った。
 それから目許をふうわり緩め、うん、ごちそうさまと頷いて。そうして何の痛痒もなさそうに自らカップを片付けに立つような彼だ。
「ああもう!」
 それは、あんまりずるいんじゃあないかと、流し場へ消えた背中を追いかけようとして、凍った。
 油の切れた機械みたいに、ぎぎぎと首だけでようよう振り返った入り口に、光を背負って黒い影が立っている。たった今―――判っているが出来れば認めたくはない―――何かが物凄いスピードで耳の横を通り抜け、眼の前の壁を削って跳ねたのを白昼夢だと思えないのは遠いようで近い過去の経験値からだろうか。嬉しくない。
 どちらさまですかと尋ねても名前が返るどころか蜂の巣にされそうだ。
 黒い影は、黒いスーツを着た人間だった。少なくとも姿かたちは人間だ。自分と似たような年頃の、けれどどこか超然とした立ち姿。中折れ帽の下の通った鼻筋。酷薄そうな唇がゆうるりと動いた。
「今ここに居た男は?」
「―――」
 思わず奥を気にしかけて踏み留まったのを褒めてやりたい。
 代わりにぎっと両眼に力を込める。ともすれば震える息を吐いて吸う。溜める。両足がしっかり床を踏みしめているのを確かめて胸裡で一言唱えた。顔を上げる自分を男が驚いたように見たから、ちょっとだけ笑い出しそうになる。
 ああ畜生、馬鹿野郎の綱吉め、あんたもやっぱりろくでもない。こんなとんでもないのに狙われるような一体何をしたんだよ。
 ふん、と男が詰まらなさそうに鼻を鳴らした。どこか無造作に構えた銃はそのまま。問答無用で撃ち抜く心算はないらしく僅かに首を傾げる仕草を置いて、お前イグレーコの弟子かと訊いた。訊いておいて、まあどっちでもいいがなと自己完結しやがった。
「早死にがお好みか?」
「そんなわけないだろ」
 意外な場所から応えが返る。何時の間にそちらに回ったのか先程男が入ってきた場所に半眼で立っているのはたった今、どうにかして逃げろと念じていた張本人だ。
「ったく、無駄に殺気飛ばさないでよ」
「そういうお前は逃げたんじゃねーのか?」
「物騒な気配が近かったからね!」
 憤然といい返して一転、ごめんねこういう奴なんだよと綱吉は困ったように眉尻を下げた。その隣で黒服の男はもうこちらにはとうに興味を失ったらしく振り返りもしない。手間掛けさせるんじゃねえよボス、と。いいざまじろりと青年の全身を流し見た。
「おい、服が煤けてんぞ」
「あ、今窓から出たから」
 成程あの狭い建物の隙間を抜けてきたのかと納得している余裕もない。そうしろと願いはしたが、もし綱吉がそのまま逃げていたら自分はどうなっていたのかと考えるのも嫌だ。
 その後ははっきり蚊帳の外で、夕食時に戻ってきた親方に話したものかどうか迷った挙句簡単な容姿だけを伝えたら。
「そりゃあお前、命があって儲けものだ」
 黙々と口に入れていたペンネをごくりと飲み込んで簡潔にいった。ついでに魚の骨がペッと出た。
「……会っただけで?」
「遭っただけで」
 親方は重々しくも頷いた。それではまるで『死』のような―――。
「おい、それ洗っておけよ」
「わかってるって」
 綱吉がどう思っているのか知らないが、あの時感じた寒気は冗談ごとではないのだろう。
 だからといって退く気など沸いてこないのが何よりの問題で。そんな少年の背をやれやれと見守る視線があったのだけれど、そんなことは勿論知らない。

名無し少年の視点とみせかけたラブバカ系リボツナのような。とりあえずマリア偶像はあっという間に壊れた模様でよかったね。少年はリボへの敵愾心から?イグレーコ(Y)親方の職人じゃないほうの後継にもなって、息子でもないのにユニオル(Jr.)いわれます。

2007/09/16 LIZHI
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