暮れの元気な御挨拶・V

「チッ……」
 耳に届いたのは誰かの舌打ち。煙が晴れて現れたのはどう見てもさっきまでいた家の居間とは似ても似つかぬ石の壁。近頃危険とあり得ない出来事に遭遇しすぎて麻痺した頭の半分は冷静に状況を見て取ったが、認められない残りの半分が綱吉に声を上げさせた。すなわち、嘘だろうと。
 逃避を求める人間に現実は概して非情である。
「オイ、馬鹿面晒してんじゃねえ」
「って、リボーン?」
「ああ? 目まで悪くなったのか」
「そういうわけじゃ、てああ?!」
 僅かに半歩を離れたところ。チュイン、と妙に軽い音を立てて壁を抉ったのは紛れもない銃弾というものではなかろうか。認めたくなくとも認めざるを得ない事態が眼前にあって。それを消化する間もなく綱吉はリボーンに引っ張られるままむしろ放り投げられる勢いで反対側の路地の角に逃げ込んだ。辺りはまるで迷路のように幅一メートルほどの細い路地があちこちに入り組んだ造り。見上げればとりあえずアルファベットであることだけが解る文字が矢印とともに掲げられている。どこかのテーマパークでなければ少なくとも日本ではないだろう。ようやく気付いた肌寒さに文句をいう暇も余裕も無く、張り付いた壁の縁を銃弾が削った。
「やっぱり十年後ー!?」
「うるせえ。とにかく逃げるぞ」
 そういって走り出す幼児の小さな背中を半ば反射で追いかける。あの力強い腕を無条件に信頼していることに綱吉自身は気付いていない。入り組んだ道をリボーンは迷う素振りも見せずに駆け抜けてゆく。それを疑うこともなく、情けなくもあっという間に上がる息を堪えて綱吉は咽喉を震わせた。
「ねッ、ちょ、リボーン!」
「何だ、無駄口叩いてる暇はねえぞ」
 振り返ってリボーンが応戦するたびに聞き苦しい呻きらしきものが届いてひいいっと悲鳴を上げる。
「いや、ここってその」
「イタリアだな」
「あっさりいっちゃったー?! いやそのもしも百万歩譲ってこっちのオレがその、銃撃戦とかに撒き込まれてるとしてもさ!」
 自分が逃げる必要はないのではないかと綱吉は思うのだ。何しろ相手がどんな人間を探しているかは判らないが今現在の綱吉はほんの子どもでしかない。髪の色眼の色、そんなもので見間違えるとも思えない。いや人違いではないのだろうが。
「馬鹿かオメーは。こっちがどうだろうと銃ぶっ放してんの見られた連中がただでテメーを帰すとでも思うか。消されるに決まってんだろーが」
 なんて理不尽な弱肉強食だ。
「絶ッッッ対、マフィアになんかなるもんかー!」
「いいからあれに紛れるぞ」
 路地を抜けて見えて来た見事なアーチ橋に眼を瞠り、多国籍に賑わう観光客らしき人々の間をするする通り抜けるリボーンのようにはいかずぶつかりまろび掻き分け進む。彼がわざわざ人ごみを選ぶのもきっと理由があるのだろうから綱吉としては逸れないよう付いて行くことだけに集中した。階段を上がってしまえばそこは普通の通りのようで、水の上、橋の内側であるはずの場所に並んだ店店に思わず眼を回す。大理石の柱廊に並ぶのは、繊細な光を放つ金細工にレース、色鮮やかな硝子の小物、風変わりなピエロに似たマスク。まるで万華鏡の中に迷い込んだような酩酊に襲われる。実際にはただの土産物屋だとしても少年の眼にはあまりに鮮やかで。
 怖くなる。ここはまるで知らない場所だ。眼を瞑って耳を塞いで貝のように縮こまってしまいたい。いや、拒絶されているのは綱吉のほうだ。
「リ、ボーン……ッ」
「―――何だ」
 裾を引かれる。小さな手が綱吉を捕まえている。黒い石のような眼がまっすぐにこちらを見上げてきた。へにゃりと眉尻を下げて綱吉は首を振った。
「なんでも、ない」
 蹴り飛ばされるものとばかり思ったが小さな躰は再び綱吉を導くように先へ行く。少しだけ彼が笑ったような気がして、仮令呆れ混じりであったとしてもそれだけで心は不思議にすうっと凪いだ。現状は何も変わっていないのにだ。見失わないように必死で後を追いながら橋を渡る前に黒尽くめの子どもがいっていたことを思い出す。いいかツナ、もう五分は経ってる、そしてこっちのお前は狙われている、何がどうなってるにしろお前は戻れるまでこっちの自分の代わりに何としてでも逃げ切らなきゃならねえ、オレはそれをサポートする、いいか死ぬ気で走れ。無茶苦茶もいいところだろうが頷くしかなかった。
 お前に土地鑑は期待してないが考えるのは人数を分散させることだ。駅に向かうと思わせてさっきの橋を渡ったところで一回。広場に向かうと思わせて北へ向かったところで一回。駅は当然張っている人員がいるし同じ理由で広場も駄目だ。あそこは空港までの定期便があるからな。ミッションは島内脱出。お前がガキの姿なのはおあつらえ向きの眼くらましかも知れない。
「駅も船も駄目なんだろ、どうするの」
「いくらなんでもこの街にある船のすべてをチェックなんか出来るか。それにボンゴレのサポートは有能だからな」
 そこここを細い水路が網の目に走る街は古い映画の中のようで、夢というには圧倒的にカラーだった。冬の、彩度を落とした天然色。階段を上がったり下ったり、石畳の上を全速力で走るのは脆弱な膝を苛め抜くようなもので。この苦しさが夢であるはずもなく。始めの場所は銃撃に遭いこそしたがどこかのどかな町並みで、橋を渡ると活気に溢れた市場や店の並びが眼についた。水路を通る美しい小船に見惚れる時間がないことが惜しくも思える。
 ちっとも余裕なんかじゃないのに、怖いのに、心臓は限界を訴えても。
「ツナ」
「え、何」
「いったろ、お前の姿はこっちのツナにはラッキーだ」
 どうやらテメーはそういう運で星の廻りらしい。
 黒尽くめの子どもは振り返って銃を構えた。あいつらはお前をわかるだろう、彼は不審に思う暇もくれない。
「行け!」
 ヌオーヴェ、パナーダ、リボーンの言葉は呪文のよう。細い水路の先を指し示す手は力強くもあまりに小さく。
「駄目だッ」
 お前も一緒でなきゃ行くものか、そういう意志を込めて睨み付けた。リボーンは一瞬虚を突かれた顔をして、そして綱吉が見たこともないような、破顔一笑。
「変わんねーなテメーは」
 それが再び煙に包まれて聞いた最後の言葉。

「リボーン」
 戻った場所もまた自分の家ではなかった。それでもここは見知らぬ町などではない。電線の上の鴉が長閑に鳴いた。まるきり夢から醒めたような虚脱感が全身を襲った。
「……やぶからぼうに何だ」
「ってここ塀の上ー?!」
「暴れんな、落ちるぞ」
 いわれた傍から路上に転げ落ちた綱吉を、体操選手のような安定感で立ったリボーンは呆れたように見下ろした。無駄に打たれ強くなったとしても痛いものは痛い。はっとして綱吉はがばりと起き上がった。
「って、リボーン?!」
「ああ? 目まで悪くなったのか」
 くらりと眩暈がして綱吉はやはり全てが夢だったような心地に陥った。いい加減寒いし帰るぞ。軽々と塀から飛び降りてリボーンは背中を向けた。そのスーツの裾を思わず掴んでしまってはたと我に返る。背は小さいのにニヤリと見下ろすいい笑顔が恐ろしい。
「触んなっつってんだろーが」
「いや痛い痛いからギブギブギブうううう」
 結局。獄寺たちに訊いたところどういう訳か煙が消えるとそこに二人の姿は既になかったらしく代わりに窓が開いていて。リボーンによって再起不能にされた挙句送り返されたバズ−カの威力は誰も知らないまま謎となった。綱吉はお歳暮のお礼状を丁寧にしたため、かつ今後のお気遣いは不要ですとやんわりお断りを入れたのだが、日本語だった為にきっぱりさっぱり無視されることになるのはまた別の話である。

◆ ◆ ◆

 かつての子どもの姿が消えた街にはちらほらと珍しい雪が降り始めていた。男は先程まで傍にいたのとまったく同じようでいてやはり違う幼子の姿をした彼に片手を上げてみせた。その口許に浮かぶ雪のような淡い笑みこそが、男が体験したものの僅かな名残なのだろうとリボーンは思った。
「やあリボーン十分ぶり」
「ようボス。テメー年食ったなあ」
「何をいう、ツナヨシはいつまでも若いわねって羨ましがられるんだぞ」
「愛人にガキ扱いされてるだけじゃねェか」
「可愛くない」
「テメーのが余程可愛くなくなったがな、どこで落として来た」
 仕方がないねお互い様だ。違いねえ。二人見据える先は違えどもこの二十年確かに隣を歩んで来た。
「蹴散らすぞ」
 そういったのは、同時。やがて白が覆い尽くす前に全てを終わらせよう。

◆ ◆ ◆

「なあリボーン」
「あ?」
「来年もよろしく?」
「鬼に笑われろ」
 疑問系かよ。深く被ったソフト帽の下で微笑んだことは秘密だ。

もしリボーンの姿があのまま変わらなかったら…というIf話、オプション二十年バズーカ捏造(ていうか全部捏造だよ)解りにくく書いたんですが解りにく過ぎただろーかと反省中。地味に禁断ぽいネタをかるーく触ってみました(おい)ちなみにこの話がいつもの十年後に影響することはありません、パラレルのひとつと思って下さい。あと二十年後の綱吉のこっちでの話は割愛。リボーンとさっさと逃げてるから。最後に蛇足が二つあるのはあまりにも拾わないことに罪悪感が沸いたらしいです。
ここまで読んでくださって有難うございました。

2005/12/22 LIZHI
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