願い井戸に投げるコイン一枚ありゃしない。
【 鰐と蝶蝶 】
ソレスタルビーイングという組織の特徴のひとつに秘密主義がある。
国家に属する正規軍にとっても無論、情報管理は最重要事項の一つだ。しかし存在自体が秘密であるCBにおいては、各種兵器情報はもとより、構成員はお互いの本名、素性、プロフィール全般の秘匿を義務付けられ、命に反して探ろうとした者にもまた相応の罰が科される。彼等は地上の柵から切り離されたものでなければならぬのだ。それゆえの<天上人>であるからには。
組織の全容さえ、前線という名の末端である彼等には届かない。単なる兵士よりは上層部に近いであろうと思われる、戦術予報士、スメラギ・李・ノリエガ―――これも当然コードネームだ―――にしても、どこまで把握しているものか。
「エクシアの、パイロット候補?」
そうよ、と彼女はロックオンの疑問符にあくまで軽く応えを返した。本人は固辞しようとも宇宙輸送艦、プトレマイオス就航時には指揮官席に収まることが規定事項である才女は、片手のアルコールと一歩引いたスタンスが常である。
現在別地で鋭意開発中の機体にあって、ロックオンは狙撃型であるガンダムデュナメスのパイロットとなることが内定している。寧ろデュナメスの為にロックオンが選ばれたといって善い。故に、用意されたコードネームもまたそれに准じたものだ。汎用性が高いとはいえ近接戦闘型に特化するというエクシアについては多くを知らない。知らないのだが、だからといってGN-001開発コード<セブンソード>に興味がないわけでもない。
「それは―――エクシアに乗れなければ、マイスターからも弾かれるってことか?」
ロックオンは組織がどこで、どのくらいの規模でパイロット候補生を育てているのか詳しいところを知らなかった。むしろ組織にあっては一本釣りのスカウトが多く、ロックオンもその口だ。
「貴方のそういう言葉の裏を読むとこ、嫌いじゃないわよ」
でも程程にしないと、もてないわねえ。
「揶揄わないでくれ」
「これは失敬」
現在開発中のガンダムは四機。席が埋まっているのは一機。埋まったも同然のが一機。そいつは今ここには居ないが。
二つ年上のグラマラスな美人に、ロックオンは短く溜め息を吐きながら、それでと話の続きを促した。
「問題あるのが能力ってんなら候補にも残らんだろう。危険思想でも持ってんのかい?」
「私たちほどの危険思想の持ち主にも、そうそうお目にかかれないわねえ」
確かにその通りではあるのだが。
「ミス・スメラギ。そろそろ俺を世間話に誘った理由を教えてくれてもいいと思うね」
それもそうね。まったく、本気と冗談の区別がつけ辛い人だ。
「予想はつくでしょうけど、今後こちらで訓練を行って貰うことになるわ。つまり、貴方ともね」
「そりゃ、相性をみたいってことかい」
「含めてよ」
ちなみにその子、十四歳だから。
宜しくね、といってひらひらと手を振り去って行く。ブリーフィングルームに一人残されて、ロックオンは蟀谷を引き攣らせた。
「それを先にいうべきだと思うぜえ……」
十四歳、十四歳ね。
通り過ぎたのはそれほど昔のことではないのに、今のロックオンにとっては餓鬼としか思えない。無根拠な矜持や、若さとセットの賑やかしさ。十代前半の多感さはさぞや扱い難いことだろう。またその若さでこのような組織に身を投じるという意味をロックオンは考えた。詮無い思惟はすぐに消したが。
しかし。
結果的にロックオンの予想は半ば裏切られ、半ば正解であったのだ。
「刹那・F・セイエイ」
―――自己紹介終わり。コードネームであることを鑑みれば、何一つ口にしていないのに等しい。組織の構成員としては理想的だが、コミュニケーション能力は幼児以下だ。
小柄な体躯のせいなのか年齢よりも年少に見える。これで果たしてガンダムの負荷に耐えられるのか、不安を覚えるほどだ。
そのくせ、そうした印象を丸ごと裏切るような眼を持っている。
激しいのでも、強いのでもなく、暗がりのうちにいて一見酷く低温なくせに、何かひとつを見据えている、沼のような底の知れない眼だ。似たような眼をした人間をロックオンも知っている。
「ロックオン・ストラトス。一応、デュナメスのパイロット予定だ」
宜しく、と差し出した手が握り返されることはなかった。
刹那と名乗った少年は、表情の変化に乏しい瞳、薔薇の冬芽のような赤褐色の虹彩を僅かに上向かせた。予定、と訊くというのではなく呟いた。取り合えず言葉が通じているらしいのは僥倖だが、意志の疎通は難しそうだ。先を思いやってロックオンは内心嘆息した。
「あんたは既にマイスターの一人だと」
「んなもん、この先何があるか解んねえだろお、例えばオレがどじ踏んで運悪く戦場出る前に死んじまうとか、腕が使い物にならなくなるとかしたら」
―――などといいながらそんな気は全く無いのだけれど。
「不測の事態なんて何時どこでだって起こり得る。マイスターなんていっても所詮兵隊は挿げ替えのきく駒だ。重要なのはパイロットじゃない、<ガンダム>だからな」
黙り込んだ少年に少し脅しすぎたかと思う。しかし刹那は心持眼を瞠ったかと思うと、先程までとは比べ物にならぬ意思の光を乗せて、何故か深く首肯した。猫ほどに小さな頭がこくりと動くのは妙に微笑ましいが、本人はそんな微笑ましさとは対極にいるらしい。
「ロックオン・ストラトス」
あんたは、自分のガンダムと会ったことがあるか。
「お前……俺の話聞いてなかっただろ」
「聞いていた」
それでどうなのだ、と。
新しい同僚の表情は相変わらず硬いままだが、何とはなしに期待されているような、しかもそれを裏切ってはいけないような予感までして、ロックオンはたいそう居心地が悪かった。イエス以外を返せない気がするのは、質問として成立しているのだろうかと疑問に思う。
端的にいって、やり辛い。
「一応、開発中ではあるけどな」
「そうか」
予想に反した淡白な反応に拍子抜けする。そのままくるりと背を向けた刹那は、方向から見てシミュレーション・ルームに向かうらしい。基地内も把握済みなら案内は不要だが。
真面目なことで、と見送った筈の彼の後をワンテンポ置いて追いかけたのは、理解の外だ。
ロク兄さん、苦労物語。
2008/01/28 LIZHI
No reproduction or republication without written permission.
CLOSE