中世の伝説によると、この街にはその昔偉大なる魔術師が住んでいたそうだ。
 ご丁寧に墓も在る。その名のついた公園も。実しやかで突拍子もない物語には事欠かない。無論後世に作られたものであり、彼は詩人だ。
 硝子砂の眼晦ましに、指輪の桎梏。
 少なくともこの二つに関して刑事たちに出る幕はない。どちらもその場で調達した品物を媒介に増幅した術だろう。それが術士の性格なのか限界なのかの判断は保留にしておく。ただ、事故を隠蔽するには効果の永続性に欠けるし、確実な方法は他に幾らでもある。行動の理由までは綱吉には解らないしどうでもいい。
 魔術ではない。とはいえ予備知識がなければ似たようなもの。
 事故からこっち<ターゲット>の気配が鳴りを潜めた。無関係と思うほうがどうかしている。
 彼らの技に一般人はまずもって気が付けないし、証明も再現も不可能だ。警察は破綻無く書類を纏める努力をするほかなく、奇妙な事実は文書の上では恐らく“無かったこと”になる。ロザートを掴まえなければ、綱吉自身も錯覚のほうを疑った。警察とスタートラインが違うのは、そうした能力技術を持つ人間が物語でなく現実に存在すると知っている点だ。
 のみならず心当たりすらある。これがターゲット―――<彼女>に無関係な仕事ならば真っ先にバッティングを疑ったろう。
 数パーセントは今も疑っている。
 石を投げて当るほど、確かな力を有した術士は多くない。子どもの仕業と考えるより、ロザートが化かされたというほうがまだ信じられる。所詮綱吉は頭の固い常識人だ。
 溜め息を吐いた。この仕事を放り出す動機にしては弱すぎる。第一、夜中にメールを寄越す必要がないだろう。やはり真面にものを考えるべきだ。
 ターゲットの気配が掴めない以上、追い掛けるのは省エネな術士のほうだ。けれども次の算段をつけるより先にやることが出来た。
 後ろにまず一台。それから車線の流れに割り込むように右斜め前方に一台。左を塞ぐ三台目のバイクが横並びになる直前、右に折れた綱吉は一方通行を逆走した。残念ながらその程度で振り切れる輩ではない。
 路地の迷路は少年らの庭だ。先回りに、誘い水に、情けないかな悉く嵌る。状況に変化が見込めないまま、四台目が現れ結局四方を囲まれた。
 基本、バイクを足にしているが運転技術は人並みだ。綱吉は走り屋でもなければ命知らずのスピード狂とも違う。渋滞と階段と細い路地だらけの市街地で比較的身軽に行動を許すからであり、他人の運転をそれが車だろうが電車だろうが信用していないだけの話だ。
 ささやかな主張は容易く破られる。おもに人の話を聞かない種類の人間によって。
「なんですかこの車は」
 誘導というよりは護送された脇道の先で、腹を見せて停まった小型バンの運転手に綱吉は物凄く不本意だという顔で物申した。有無をいわさず借り出されたのだろう少年たちには同情しつつも一発ずつお見舞いした後だ。どことなく見覚えはあるが名前までは思い出せない顔が、頭や腹を押さえて唸っている。草壁は若干困ったように表情筋を動かした。
「なんだ、花屋のほうが良かったか」
 そういう問題ではない。
 厳つい顔の男が真面目に訊いているのが判ったので、綱吉はそれ以上の追及を諦めて大人しく荷台スペースに乗り込んだ。草壁に花屋、という脳内で構成された視覚の暴力に眩暈がした所為もある。悪い男ではない。むしろ好漢の部類に入る。ただ奈何せん彼の場合、一緒にいる人間の性質が圧倒的に悪すぎる。
「そう不貞腐れるな。バイクは無傷で届けさせる」
「不貞腐れちゃいませんよ。もう一寸増しなご招待はなかったのかと思っただけです」
 あいつら使うの止めてくださいよ、可哀相じゃないですか。
「その割には容赦がない」
「躾けはその場でやらないと効果がないんですよ」
 なるほど道理だな、と草壁は着替えだという紙袋を指しながら低く哂った。中身は作業着にそろいの帽子。施行屋を偽装したバンの後ろには、工具箱や鉄パイプといった小道具まで用意されている。スパナひとつでも暴漢の頭をスイカのようにかち割るくらいは容易かろうし、それ以上の物騒な代物だって、とみれば鉄パイプの中心には鉛が仕込んであった。何処に突入する気だと呆れる。
 ひょっとしたらサブマシンガン位は探せば出て来るかも知れない。
 ―――大概の輩は顔だけで逃げると思うけどな。
 草壁は、巷でサン・バラッバと呼ばれる物騒な地区に程近い裏通りで店を構えている、花屋でも施行屋でもない中古のモータサイクル屋だ。それだけでは喰っていけないのでスポーツ用品なども取り扱い始めたら際限がなくなったという印象の、カオスの店長である。推測だが税金だって納めているだろう。元は軍人だったとかいう噂もあるが定かでない。
 その彼が無精髭も剃り落とし、油で汚れたツナギでなく矢張り仕事着だがこざっぱりとした作業着に帽子姿で現れたのだから警戒するのは当り前だ。
 中古のモータサイクル屋は、各種違法品を取り扱う裏の顔もしっかり持っている。なおかつ口が岩より重い。そういう存在は綱吉のような稼業には何より貴重だ。つまり、邪険にすると後で手痛いしっぺ返しを喰らいかねない。
「説明する気は?」
「着けば解る」
 こちらが話を聞く体勢になっても向こうにその気は無いらしい。
 あっそ、と綱吉は前部シートの後ろに頭をつけて、着いたら起こしてくれと帽子で顔を覆った。起きていれば愚痴を並べたくなるに決まっている。

 再び開けた視界の先には、街並みを見下ろす丘に建つホテルが木立に透かして見えた。遠回りでもしたらしく走行距離に比べて移動距離はごく短い。中に何が待っているかは兎も角建物自体は瀟洒なものだ。草壁が従業員出口の鍵を所持している件はさて置いて、話がついているとの宣言通り、咎められることもなく目的地らしいドアの前に着く。こうなると逆にセキュリティへの不安を覚えるものだが、所詮は他人事だ。
 護衛がチェックする隙も無く、ドアは、何だか物凄い勢いで開いた。
「紹介するよ、これがその優秀な猟犬だ」
 草壁が額を押さえた。行き成りそれでは中でどんな会話があったか、見当も付こうというものである。綱吉は仏頂面を隠さなかったが、警戒も用心も丸めて捨てる神父は全く堪えた風ではなかった。自由過ぎる。
「やあ、リトリーヴァ。喜びなよ、仕事だ」
 スウィートの品の良い調度とともに作業員たちを出迎えたのは半ば予想通り、上から下まで黒尽くめのあまり見慣れたくない顔だった。要するに見慣れた顔だ。神父は猛禽類のような眼元だけを笑ませ、室内へ向かって紹介の腕を広げた。綱吉は仕方なく、この部屋の仮の主への名乗りと情報の訂正を一度で済ませた。
「<回収屋 リクペラトーレ>です」
 着替えと一緒に入っていたフレームの太い伊達眼鏡と、顔を半分隠してくれる帽子は取らなかった。気を利かせたのは間違いなく草壁だ。
 そういった一連のことを致し方ない職業的理由として受け取って貰えたか、単に瑣末事を気にする余裕がないらしく、文句はどこからも出なかった。草壁は工具箱からなにやら取り出し作業を始めたが、盗聴を警戒するにも神父がこの部屋に入った時点できっちり確認されているはずなのだから、ポーズ以外の何ものでもない。
 室内に居た護衛の胡散臭そうな視線が、綱吉の天辺から爪先まで突き刺さる。
 やれやれ、だ。
 紛れもない、ここ数日の調査対象であった人物は、ソファに腰を落としたまま当惑したように綱吉を見上げている。
 まさか面と向かって名乗りを上げる羽目になるとは思わなかった。
 多少薄くなりつつあるが白く残された頭髪に太い眉、涙堂の際立つ下がり眼。グリーンベージュのスーツに、一つ二つ釦の外された鮮やかなカナリア色のシャツ。綱吉は塒の棚に鎮座していた、カラフルで賑やかしい荷車印の缶詰を思い浮かべた。カッレッティは地場の食品加工会社の名でありオーナであり、この街の有力な市議である。
 そして、その筋では名の知れた、珍品奇品蒐集家。
 押し出しの善い男は、調査時よりは疲労の見える顔に困惑を浮かべて神父を窺った。
「その何だ。思ったよりも若いな、随分」
「若かろうが小さかろうが、今求められるのは困難を突破するに足る能力を持った人間だよ」
 間髪入れぬ神父の言に綱吉はあらゆる意味で蟀谷を引き攣らせ、市議は、いやそうだな、うんそうだ、と、既に自分で思考する力すらどこかに置き忘れてきた様子だ。黒い僧衣の麗人は至極満足そうに、凶悪過ぎる笑みを浮かべた。ここに至るまでの経緯には洗脳に近いものがあるのではないかと綱吉は思う。
 シニョール・カッレッティは白布で吊られた腕を撫で擦って溜め息を吐いた。それこそが、通報のあったという銃撃の名残だろうと思われる。赤外線スコープで観察した邸は狂乱状態で、それが一台の車が入るとともにほぼ収束した。
 まず間違いなくこの男が係ったのだろうなあと綱吉は、こんな時でも変える心算はないらしい詰襟の僧服を横目で睨んだ。
 雲雀恭弥、黒髪にきつい眦の黙っていればオリエンタルな麗人。聖バルバラ教会の破戒神父には、大きな声ではいえない死体隠滅請負人の噂さえある。彼がここにいるということは、ターゲットの暴れた結果は市議の腕以外、綺麗に始末されたに違いない。
 判っていたが、どうやら巻き込まれる以外に道はなさそうだ。
「最初にいっておきますが、料金は半額前払いでお願いします」
「失敗してもかね」
「厭なら他を当たって下さい。それともう一つ。オレは一度自分が回収したものを、回収しなおすことは基本的にありません」
 例えばAの依頼でBから回収したものを、Bの依頼でAから回収しなおすということはない。これは綱吉が回収屋をはじめるにあたって決めたルールだ。際限のないいたちごっこには付き合っていられない、というのが表向きの理由である。
 一番望ましいのはここで依頼を取りやめてくれることだろう。
「なるほど合理だな。それに真っ当な商売人のようだ。神父様が推薦してくださるだけのことはある」
 聞いているだけで尻がむず痒いが、ここで笑うと横から何が飛んでくるか解らない。
「―――君、今朝方の車両事故は耳に入っているかね。亡くなったのは私の秘書でな」
 綱吉は素っ気無い悔み言を述べた。作業着の下のポケットで、金の指輪が少しだけ重みを増す。護衛は続き部屋の向こうへ追い遣られたが、雲雀と草壁はそのまま離れたソファに寛いでいた。否、寛いで既に眠そうなのは雲雀だけであって、草壁は彼の斜め後ろに直立不動で立っている。相変わらず妙な関係性だが本人たちにはそれが自然なのだろう。
「あれがなあ、君、真面目で堅実を絵に描いたような男で。真面目過ぎて細君と別居になったくらいでな、離婚などせんよあくまで別居だ。まあショックには違いあるまいが。それでも仕事はきっちりやってくれるので助かっとった。そら、休めというほうが酷になる人間がおるだろう、その類だ」
 まさかなあ、とカッレッティは風船が萎むような溜め息を吐いて己が腕を見下ろした。そして秘書氏の凶行についてぽつぽつと話した。
 撃たれた割には暢気な反応だと思っていたが、実際的になったのは咄嗟に割って入ったガードのほうで、本人はその際突き飛ばされて肩だか腱だかを傷めたということらしい。
「その時間、お二人は何をなさっていたんです、お仕事で?」
 いやあ、とカッレッティは頭頂部に向かって額から片手で撫ぜ上げた。
 秘書氏は半ば住み込みの身だったようだ。この街の人間も大概宵っ張りだが市議もその例に漏れず、昨夜もナイトキャップをちびちびとやりながら自慢のコレクションに悦に入っていた。秘書氏にとっては主人の我侭に付き合うのも業務のひとつだったろう。
 近頃カッレッティの心を射止めてやまなかったのは、つい最近手に入れた装飾銃である。その類稀な美しさについて市議が脱線も厭わず楽しげに語り出したので、綱吉は自分の瞳が常に無い色に揺らめかぬことを密やかに祈った。
 暗闇にあっても銃身の不思議と皓く光輝くような回転式の装飾銃。かつて持ち主であったといわれる貴族の不幸な末路や、裕福な銀行家の秘密めいた自殺、沈んだ船からその銃だけが浮かび上がったという現代の伝説にいたるまで。何人もの持ち主に愛され、そのたび不幸にしてきたという経歴は、聞く分にはホープダイヤの如き眉唾物だが、男の個人的な怪奇趣味を満たすのに十分だったらしい。そして綱吉は、それらがけして嘘ではないことを知っていた。
 カッレッティはそうした曰く因縁のあるものを、殊に愛するタイプの蒐集家である。眠りの前のひと時はまさしく男にとっての至福であったに違いない。
 例えばこれが刑事相手だとしたら果たして何度話を遮られただろう。枝葉末節と端から切って捨てられるそうした話を綱吉が傾聴したことで、市議の機嫌は見るからに上昇した。蒐集家の多くは聞かせたがりで、綱吉にとっては受けたくもない依頼よりそちらの情報が優先だった。
「気に入った額がまだ見つからなくてな、頑丈なケースに入れて金庫に仕舞っておった。しかしなあ君、美しいものは愛でられてこそ意味があるだろう。仕舞い込んでは宝の持ち腐れというものだ。つまらんよ」
 そこで秘書にぴったりの展示用額を調達するよういいつけた。
 漸く気に入るものが手に入ったのが昨夜。狂喜したカッレッティが金庫を閉めることも忘れて、あれやこれやと自ら配置を検討している最中に。
 秘書の様子が一変したという。
 悪鬼のようなとは、ああいう顔のことかも知れんなあ、と。カッレッティは夢から醒めたような唐突さでぽかりと表情をなくし、冷めたカッフェに口をつけた。
 善く見知った顔が自分に銃口を向ける衝撃。その後、秘書氏は銃と金庫の中身を持って、いつも主人のために運転している車で逃走―――本人が何を思っていたかは知れないがそういうことになるだろう。そしてロザートの見た現場へと繋がるわけだ。彼に目的地があったのか、闇雲に走らせた結果かは推測の域を出ない。
「心当たりは?」
 と、行き成り雲雀が訊いた。起きていたのか。ありませんねえと市議は首を振った。雇用関係も勤務条件も彼との間で問題になったことはない。
 それはそうだと綱吉は思う。<彼女>が引き出す情動は、普段意識もしないようなところにある。同時に、酷く外部に操作され易い。
 仕事のし過ぎ、だったのかもわかりませんなあ。真面目すぎるというのも考えものだ。いやいや、時には休むことも必要だと私はちゃんとだね―――そんなことをカッレッティがいっている。
 表にこそ出さなかったが、綱吉は呆れた。
 どうやらこの男、怪奇趣味が高じて怪我までした割りには堪えていない、というか。
 自分が手に入れたものが、どれほどの危険性を帯びたものであったかなど、まるで解っていないのだ。この感性の鈍さこそが彼の命と精神を救ったのだとしたら。邸のコレクションたちは主人には決して届かぬ怨嗟の声を上げているやも知れない。
 成る程。どうやら<人を渡る銃>は購入者本人よりも、不運な腺病質の秘書氏に眼を付けたらしかった。
「それで、オレに一体何をしろと」
 もしも奪われた銃を取り返せといわれたなら多少厄介だと思ったが、意外にも予想は外れた。神父様、と年下の青年を呼ぶ声には敬意を越えた依存すら篭っている。雲雀はただ一言、信用してくださって結構とだけ答えた。
 まさかこの男に自分の信用書きをして貰うとは、これまた予想外だ。
「警察には、発砲騒ぎについてはこちらは完全に否定している。それは呑み込んでおいてくれ」
 綱吉は、事故現場にいた刑事の会話を思い出しつつ了承した。誰にも体面というものはある。選挙というもの考えれば一層に。
 市議の邸では秘書による銃撃もなければ、そんな銃自体、存在しなかったということだ。だからこそことが盗難であっても、被害届は出せないし出す気もない。入手ルートさえ正規のものではないのだから余計に、痛い腹を探られたくはないだろう。組織ではなく個人からの買い付けでも、そもそも違法な売買だ。銃としてだろうと美術品としてだろうと、<彼女>が通常のルートに乗ることはない。
 それとも、他に探られないことでもあるのか。それはあるだろうなと当たり前過ぎる疑問は放り投げた。
「事故の処理は弁護士に任せてある。勿論葬儀はちゃんと手配をするし、残された家族にも出来るだけのことを申し出よう。ただ、問題はあれが銃と一緒に持ち出したものでな。本人がどこかに隠したのか、もしかしたら他の人間に盗まれたのかも解らん。いや金はいいんだ、退職金とでも思えばそれですむ。それよりも問題は―――証書だ」
 ある証書を取り返して欲しいのだ、という市議の言葉の直後、部屋の電話が鳴り響いた。

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written by LIZHI@ BRIDESHEAD /  photo by  Infinite Glider

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