ソファに転がった途端眠りに落ちたのだ。
 綱吉は掛けた覚えの無い毛布に包って眼を醒ました。足許には、同じ毛布の端っこにこれまたカラメッラの如く包った養い子が、小さな寝息を立てている。歓迎は出来ないが、仕事の最中には実はよくある光景だ。
 人間の全ての欲求のうちで睡眠欲が何より勝る綱吉は、上階のベッドまで辿り着かずにしょっちゅうここで行き倒れる。潰れた酒場のひとつだけ残された古いソファ。スプリングがいかれて決して寝心地が好いとはいえない。それでも、限界に達した綱吉にとっては、エクセルシオールのキングサイズよりもずっと魅惑的な寝床だ。
 子どもを起こさないよう抑えた動きで仮の寝床を抜け出して、補助灯のひとつもないなかをさしたる不自由もなく歩く。ソファと同様年月の行ったL字型の止まり木と椅子がそのまま我が家のダイニングだ。酒棚には幾許かの酒のほか、数少ない食器と乾燥食品、それに、豪く賑やかしい絵面の缶詰等等。冷蔵庫からガス入り水をつまみ出し、行儀悪く扉を脚で閉めながら携帯電話を開いた。
 すっかり闇に慣れきった眼には、蒼白く発光するディスプレイは些かといわず眩しく攻撃的に感じられる。翻って、明り取りの小窓の外は深い暗幕色だ。着信が一件。数ヶ所を転送されてくるヴォイス・メイル・サーヴィスではなく、横幅の狭い液晶の一行分にも満たない、アルファベートと数字の組み合わせ。中途半端な時間に眼を醒ました理由はこれだ。綱吉は生来の癖毛を苛苛とかき回した。
 厭な予感どころではない。
 地図上のポイントだけを知らせる最短の助言は、いつだって面倒事ばかり連れて来る。といって、無視をすると面倒は雪達磨式に膨らむものと相場が決まっているのだ。
 眉間に思い切り皺を寄せていると、ソファのほうで毛布の塊がもぞりと動いた。養い子は特に躰の大きい方ではないから、狭い階段を上がってベッドまで運ぶのも出来ないことでは無いが、同時に彼の覚醒を阻止しつつミッションを遂行するのは十中八九不可能だ。子どもの、陽光の下で見れば明るい灰茶色の髪も、今は蒼く沈んでいる。考えて綱吉は塊を毛布ごと引っ張り上げてソファに寝かせることを選択した。多分最初にこうするべきだったろう。気が利かないのだから仕方がない。
 やはり僅かに灰がかった淡緑瞳を隠した薄い瞼が、重たげに持ち上がろうとしてはまた落ちる。帰りを待つ必要はないといって、聞き入れられた例は無い。今夜、もう昨日になるが、きっと遅くまで待っていたのだろう。綱吉は綺麗な額に掛かった髪をかき上げるように、指で幾度か梳いてみた。すると、蕩けた瞼が今度は緩やかに落ちた。
 にも拘らず、支度を済ませて降りて来た綱吉を、子どもは瞼の辺りを擦りながら起き上がって眠そうに出迎えた。おはようございますと、まだ半分ぼやけた声で律儀に朝の挨拶を口にする。
「おはよう、にはまだ大分早いよ」
 君は寝ていなさい、出来ればベッドでと、まるで一端の保護者のような口をきいている自分を二メートル上空で俯瞰している自分が腹を抱えて笑っている。毛布の礼に、彼は柔らかな布に縋りつきながらぶんぶんと首を振った。そのうちころんと取れてしまいそうな勢いだ。コミュニケーションは未だにぎこちない。もしかしたら、ずっとこのままかも知れないが。
「お仕事ですよね」
「そうだけど、何があったか判らない」
 つい本当のことを口に出して仕舞ったなと内心で舌打った。どうやらまだ寝ているのは綱吉自身の頭のほうらしい。これでは隼人は綱吉が家を出た途端、階段を駆け上がってモニタの前に坐るだろう。彼のダイヴの腕を信用していない訳では勿論ないが、成長期の躰には少々酷だ。
 本当に仕方がない。保護者としては失格なのが綱吉だ。
 せめて請け負った仕事はきっちり始末をつけてごらんなさいと、どこかの誰かが性悪な笑みを浮かべていそうで、いわれずとも、と勝手に眦を強くした。

 ライダーブーツがどこか湿った石畳の路地を蹴る。バイクに跨り思い出したように紙巻煙草に火を点けた。複雑な調合をなされた香草の、甘いような苦いような香りのある煙を溜め息代わりに吐き出すと、蒼味を帯びた煙はふわり意思あるように主人を取り巻いて消えた。
 そうして塒に背を向けて仕舞えば、頭は仕事用に切り替わる。
 今は未明に届かぬ闇も数時間後には曙光に取って代わられる。だが陽が差してなお、高く造り過ぎた塀の鬩ぎ合うような、古アパルタメントの連なる旧市街は谷底のように暗く空は狭い。何時からかは知らないが、うらぶれた聖バルバラ教会の文字が一箇所ひっくり返っていたのが恐らく切欠のひとつではある。地図には載らない名で、サン・バラッバ、と誰かが呼んだ。
 排気音が綱吉の後押しをする。

 さあ、お仕事の時間だ。

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written by LIZHI@ BRIDESHEAD /  photo by  Infinite Glider

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