WJ-51号本誌ネタバレを含んだ世界です。未読の方はご注意ください。
弔われずに死んでゆく
はらはら、はらはらと剥がれ落ちて。
事此処に至って、未だ全ては雲雀にとっての他人事に過ぎなかった。
強いていうなら、黒衣の赤ん坊の口約束があってはじめて雲雀にとって何がしかの意味が生まれる。これはそういう戦いである。そして雲雀の闘いとは、取りも直さず気に入らぬものを踏み潰して行くことだ。その先に何があるかなど実のところは如何でも良い。
恐らく、この場にいる者のうちほとんどの理由は己のそれと大差はないと、雲雀はそう看破している。あちらもこちらもない。日本もイタリアもない。中学生もマフィアも男も女も何のため誰のためと御託をぬかしても辿り着くところはそうそう変わらぬ。畢竟、人とは己の為に他者を踏み潰して進む生き物でもあろう。
表層はどうあれ皮一枚剥いだら皆同じだ。
あの男は―――XANXUSとかいったか―――それを判って、小馬鹿にして、わざわざ理屈を捏ねるのだ。思うにつくづく面倒な男ではある。
―――だから皆殺しにしたが早いといったのだ。
本来こんなものは陰謀ですらない。
底が浅いし穴だらけだが、外部からあの男のいう言葉面だけを追えば同じ程度に底の浅い連中には成程効果的だろう。何よりあの男は事態そのものを面白がっている節がある。けれど―――もしもここで真実を知る全てを首尾よく抹殺出来たとして、上手くことが運ぶかといえばそうでもなかろうと雲雀は思う。
馬鹿はそんなに多くない。
いいがところ表面上、形に従うだけの不穏分子を飼うことになるだけだ。形を得るためにこれだけ手間を掛ける必要はない。同じ全てを壊すのであれば、わざわざ手順を踏まずとも効果はさして変わらぬだろう。
だからこの猿芝居の目的は、<沢田綱吉を追い詰め心を折ること>のほかには有り得ぬ―――というよりそれ以外に意味は無いと、雲雀は意識に上らぬところで思っている。
怨み嫉み憎しみ怒り。それらは直接少年を標的としたものではなく、少年を投影した<誰か>に対する見せしめなのだ。
どこまでも―――回りくどい。
故に、面倒な男だと、雲雀の表層はそう判断したわけである。
雲雀は。
御託には用が無い。理由には意味が無い。破壊して粉砕して殲滅して終わりだ。雲雀はそれでよい。経緯が如何あれ勝負というなら負ける気は更更無いが、否、何であろうと膝を折る気は全く無いが、本当のところこの狂騒じみた騒動の結末すら、如何でも良いのだ。命を狙うというのなら。
返り討ちにして仕舞いだ。
血を流す左腿が心臓がそこに在るかのように脈打った。
痛みは不自由で鬱陶しい。だが気に入らぬのは違うものだ。
謀られるのも、道化の役を振られることも、ちっとも好みではない。
雲を突くような矜持がじくじくと刺激される。にも拘らず、氷塊のような抑えた殺気が圧し掛かって躰が動かぬ。否、動くなといっているのだ。赤ん坊は相変わらず傲慢で、たったひとりの少年以外にはその意を問うことすらしない。
その少年は。
はらはらと剥がれ落ちてゆく何ものかに息を乱した脆弱の仔は、静かに涙を零している。
あそこで倒れる老爺が何者なのかなど知らぬし、それにまつわる全ては雲雀には関係が無い。多分、そんな関係のないような沢山のものどもに心を揺らしながら。
強いのか弱いのか、手ごたえがあるのかないのか、一向に掴めぬままの柔い心で。
何の為に拳をふるうのかは度し難いまま、それでも雲雀には図れぬ理由で―――。
起つのだろうと、やはり雲雀の意識下は思うのだ。
はらはらと剥がれ落ちるのはあの仔の脆弱な世界だ。
内側の世界ではあったかもしれない。それでもひとつの、彼を覆っていた繭が。
ぱらぱら、はらはらと、剥がれ落ちてゆく彼の世界を雲雀は視ていた。見えないはずのそれを視認していた。他の誰が気づかずとも、雲雀にとってそれは真実だ。
その後に訪れるものは、けして羽化などでないだろう。誕生でもない。そんなモノでは有り得ない。
殻のように、繭のように、桜のように剥がれ落ちたあの仔の世界は、誰にも弔われずに死んでゆく。
雲雀以外の誰にも。
突発系本誌感想ss。胸が痛いので吐き出してみる。
2006/11/25 LIZHI
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