絶対僕のせいじゃない
―――と、バイパーは声を大にして主張したい。
「コンニチハー」
ボンゴレ特殊暗殺部隊、通称ヴァリアーのアジトに友人の家を訪ねるような緊張感の無さで現れたのは誰あろう、ゴッド・ファーザーその人だった。
マーモン、あるいはバイパーは運悪く、どこかの馬鹿王子が起こした面倒の後始末を有料で―――奴の給料から天引きする手続きをした―――引き受け何の問題なく直帰したところであったので、そのヒトガタをした災難を避ける術を持たなかった。通常そうした呼称を頂くのは<有り得ないことは有り得ない>を実現する暗殺部隊であって、一見人畜無害を絵に描いたような青年ではない。けれどもバイパーは知っている。コレに手を出して痛い目を見た人間は枚挙に暇が無いという事実を。
何を隠そう、隠しようも無く、我等がボスもまたそのうちの一人であったのだから。
「……ボンゴレ十代目」
出来ることなら幻覚であって欲しいという術士らしからぬ祈りさえ篭った呼びかけに、青年は予想通りの痛痒も屈託も感じさせぬ様子でにこにこと応えた。
「久しぶりだねえ、バイパー。元気だった?」
だから、アンタと僕はお友達ではないというのに。
ああ、まあね、とバイパーはらしくもなく拙い台詞でお茶を濁したが、さいわい彼は気の無い返答をまったく気にしていない様子で、レンズの直径が一ミリメートルに満たぬ監視カメラに向かって無邪気に手を振っている。モニタの向こうで失神する人間が続出するからやめてくれ、とはいえなかった。
あと一歩、遅いか早いかすれば出遭うことも無かったろうに、と。
まるで事故にあった人間が大抵陥るようなごく一般的な思考に囚われた事実こそが受けた衝撃の大きさを表しているわけだが、当然そんな瑣末事には気付いて貰えないこと請け合いだ。
ブラウンシュガーの如き甘やかな色彩を持つ人物は、その眼の色が文字通り変わる瞬間を知る者にはいっそあざとさしか与えぬ人当たりのよさで、 悪いんだけど君んとこのボスに取り次いで貰えるかなと、いわんかなの要求を告げた。
狂犬、じゃなかったヴァリアーのボスはバイパーの後ろについて入った青年、実はもう結構いい年の、ボンゴレ十代目の顔を見るなり何時も通り足を載せていた机を一つ、轟音とともに使いものにならなくした。
「……不経済」
「同感」
「あああ?!」
まるでどこかの鮫の如き濁音である。仮令周囲にどう見えようと互いの認識に断崖の如きズレがあろうと、結局主従というのは似るものらしい。
現状から眼をそらしたい必要もあって反射的に呟いたバイパーと即座に同意した―――コトがややこしくなるからやめて欲しい―――ボンゴレに、ザンザスはもう少しで古傷が浮き上がるような激昂ぶり、瞬間切れ芸を発揮した。血管の数本は確実に逝った筈である。いやいや太いのだって結構危ないとバイパーは思う。トシなんだから少しは落ち着けばいいのに。
とはいえ八年間の空白のせいで両者の身体年齢は生れ落ちたときよりも随分と縮まっているのだった。考えてみれば怖い話だ。
口には出さないだけで割合に失礼な所懐を抱きつつ、バイパーは向かい合った両雄を見るともなしに見比べた。片や和やかではあるがそれだけに何を考えているか計り知れない笑みを浮かべ、迎え入れたボスの眼は会話らしい会話も交わしていないというのにはや血走っている。別に一触即発とかバトル五秒前なのではない。これで不思議な友好関係を築いているのだ。部外者にどう見えるかはさて置いて。
などと逃避を図っているうちに拳を震わせていたザンザスの雷が落ちた。
「こンの、
ボケボスがッ!
組織のトップたるものそう簡単にうろうろちょろちょろすんじゃねーと何べんいったら解りやがる!」
「あっ、懐かしい、懐かしいそのフレーズ」
ね、ザンザス!
実は正式就任前の沢田綱吉にボス道を特別講習した皮肉な経験を持つ我等がボスであった。結果は押して知るべし。そもそもこの男をして他人に物を教えさせようなどと考えるほうが間違っている。が、今思うに息抜き要員だったのかも知れない。そういう嫌がらせをしそうな人間に一名ばかり心当たりがある。
加えて、本人は純粋な好意でもって相手には嫌がらせにしかならないようなことを思いつく人物にも覚えがある。厭なコンボだ。
けれども一番解らないのはそこで喜んでしまえるボンゴレ十代目だろう。貴方の精神構造はやはりどこかおかしい。
大変に今更なのだが、自分も同僚もザンザスも思いっきり本気で沢田綱吉とその一党の命を狙った、マフィア界に照らしてすらの凶状持ちなのである。しかしそういう類のことをいい出したら限が無いのもまた今代のボンゴレの特質なのであり。
沢田綱吉が初代と比肩されるのはそうした一種裏技的な人事においてもだが、当然、好意的な意見ばかりではあろう筈が無く。青年はけれど捩じ伏せるでもなければ理解を求めるのでもなしに、ただ無言で宣言するのだ。それが己のかたちであるのだと。
リスクが大きくないとはいえぬ。損得だとか駆け引きだとかそうした一切を考慮しているとは、到底思われない。常識人の皮を被っているだけに性質が悪い、本人がどういおうと立派な変わり者である。
尤もそんな変わり者でもなければバイバーの悲願が成就することも無かったかも知れないと、思えば見下ろす胸元の空ろに溜め息しか出なかった。
藍色のおしゃぶり
リング
は躰を離れて久しい。だというのに、バイパーはここにこうして生きている。
それは、顧みられることすらない真昼の星のような願いだったのだ。
「ね、じゃねえ! おいこらツナヨシ! 大体何しにどうやって移動したばかりのこのアジトに連絡もなしに来やがったんだ」
テメーかバイバー、と睨まれて思いっきり首を振る。冗談ではない。
「あれ、そういやスーさんどこ行ったんだろ」
「スーさん?」
なんだそのこの場にまったくそぐわない語感は。釣り好きの建設会社の社長か? バイパーは日本にいた当時、暇に飽かせて流し見していた有名なシリーズ映画だという触れ込みのDVDを思い出した。しかし内容はまったく覚えていない。
「うん、だってあの人の名前ってなんか早口言葉みたいじゃない?」
あ い つ か 。
今バイパーとボスの心は一つになったがだからといって嬉しくはなかった。
「しょおがねえだろぉがああ! こいつっ、その辺で馬鹿どもにお持ち帰りされそうになってんだぞおおぉお!」
勢いよく扉を開きながら隠れていた鮫は自ら虎穴に飛び込んだ。ぶち破るのではない辺りが本人の律儀さだ。別に褒めてはやらないが。
「……スーさん、ね」
「どこいってたのさスクアーロ」
「普通に呼べんじゃねえかあ!」
「そうかお前かカスザメ、一辺死ね」
喰らえ、決別の一撃。
「うおぉい待て! 死んだら生き返らねえだろうが! 一辺も二辺もあるかあ!」
「じゃあ灰になれ」
「だから同じだっつってんだろうがよおお!」
はてもしかしたらこれは漫才なのかなと、ボンゴレはそこにいた自分以外の第三者に尋ね、バイパーはただのコミュニケーションだよと答えた。解っているのに訊くなといいたいが、彼等の関係性にも若干の変化が見受けられるのも確かだ。どこがどうとはいえないけれど。
「どうもスーさん、改めましてさっきは有難う」
「ボォオンゴレぇえええ」
まるで地の底から這い出してきたが如き濁声である。
スクアーロはまったくもって無駄遣いとしか思えぬ剣士の体捌きで疾風の如くザンザスの前から離れると、青年の両肩をわし掴んでこれでもかといわんばかりに全身を揺さぶった。大体貴様があんな見つけてくださいってなところでこともあろうにナンパなんぞされかけてるのが悪いんだろうが何でオレのことまでバラすんだっていうか何かオレに恨みでもあるんですかおいこら十代目様?!
スペルビ・スクアーロ、涙目だ。段段言葉遣いもおかしくなっている。
否、本来はおかしくないのだが。ドン・ボンゴレは彼等全ての上役にあたるのだし、語尾がですます調だろうが様をつけようが別に間違ってはいない。
ちょっと鳥肌が立つくらいで。
「だって君、こっち伺ってる癖してなかなか出て来ないもんだから」
良かったもう少しで死ぬ気の炎発動するところだったよあははは。
「やっぱりかああ!」
哀れだね、とバイバーは嘆息した。うぜえ、どけ、とザンザスはスクアーロの横っ腹を蹴り飛ばした。鮫はくの字になって宙を飛んだ。ああまた家具が壊れる。
「鮫は放っておけ、お前も暇じゃねぇんだろ」
とかいいながらボンゴレの頬に片手を添えないで欲しい。
「つうかテメェ、その馬鹿どもにどこも触らせてねえだろうな、ああ?」
「あー、腕は入るの」
「入る」
じゃコレは何とボンゴレはにこやかなまま、既にグローブを装着した指でセクハラ男の手の甲をキリキリと抓った。
「暇ではないけどね。今日はザンザスにちょっとお願いあって」
「お願い?」
ボスの眼が少しばかり驚いた風に瞠られる。バイパーといえば命令でも頼みでもなくお願いという凶悪さに肩を落とした。
どんな要求かは知れないが、ザンザスがそれを蹴る可能性は限りなく低い。
当初の用件は済ませたのだから妙な事にならないうちに、邪魔な鮫を回収して部屋を辞そうと思ったが面倒なので鮫は放っておく事にした。厄介事はご免だしどうせアレは自力で復活する。タフなのだけが取り柄の男だ。
故に、扉を閉める前に聞こえた会話の断片についてバイパーに責は無い。聞いて仕舞ったところで退出を待たずに話を始めたほうに問題があるだろう。こうした場面は耳の無い振りをするのが礼儀であり、口にも態度にも出さず脳裏にメモしておくのが流儀だ。後にして思えばザンザスの返答が聞こえなかったことが唯一の救いであったのだけれどボンゴレは確かにこういった。バイパーが無言のまま後ろ手に扉を閉めるそのあわいに。
「オレね、あの子が欲しいんだ」
―――あのこがほしいはないちもんめ
よくよく考えてみなくても人権を無視した日本の遊び歌が脳裏を過ぎった。
子取り遊びで取られた子には選択の余地は無いのである。それは個人の頭越しに行われる災難にも似た不可避の事象だ。
だから、仮令その子とやらが自分のことであろうとなかろうとバイパーの責では全くないのだが―――我等がボスがそんな事情を聞き分けてくれる耳の持ち主であったかどうかは残念ながら記憶に無い。
その3、上司に掛け合う。案外簡単にOK出たりして。しかし説教はされます、ツナが。
2007/11/10 LIZHI
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