男を口説き落とすには

 びりりりり、と。
 金線で優雅に装飾された封筒を真っ二つに引き裂いて。自分で出したに等しい招待状を紙くずに変えた男は、板についた有無をいわせぬ微笑でもって案内を請うた。すなわち、裏マフィアランドへの切符を。

「……幻覚が見えるぜコラ」
 それも飛び切り活きの良い幻覚だ。
 豪く実在感がある癖にどうにも現実味に欠ける。まるで出来の良い3D映像だがしかし、コロネロの見舞われている眩暈は立体視の映像技術に対する擬似感覚への生理的不快感―――などでは無いだろう。そうであったほうがどれ程ましか。
 認めざるを得まい。鍛え上げられた精神が一瞬逃避に走るほどの現実が現在進行形で眼の前にあるだけの話なのだ。
 世界はそれほどに平和であっただろうか……理解に苦しむ。
 移動式秘密要塞、違った、天下無敵の遊園地 マフィアランド は本日も絶好調に海上を浮遊中である。
 曰く、マフィアが真っ白な気持ちで休めるようにドス黒い金を大量につぎこんだ甲斐あって、移動島は文字通りの外界と切り離された別天地だ。つまりは眼の前の幻覚を連れ去ってくれる都合の良い嵐は、彼がそうしようとしない限りここまでやっては来ないのだろう。
 無論、タイムリミットこそあるのだろうが。
「ツナさん、ツナさん、起きてくださいコロネロちゃんですよー」
「……ボス、骸様が交代したがってる」
 片や黒髪にきりりとしたアーモンド・アイの、天然ボケに意志の強さを兼ね備えた側近。片や前髪を長めに残したショートヘアに眼帯とぽってりとした唇の色香とがアンバランスなどこか少女じみた女。
「ふぅん、アレはやっぱり南国に帰りたいのか。それはそれは」
 やあコロネロ、お邪魔してるよと。
 客観的には両手に花の、今日も今日とて書割のような海と空しかない断崖絶壁に如何にもなビーチパラソル、白いチェア、ご丁寧にトロピカルドリンクまでも装備したその男は、リゾート仕様のシャツ姿に似合いの陽性な笑顔でもって至極軽ぅく挨拶の手を上げた。
 コロネロはひくりと己が頬が引きつるのを自覚した。
 サングラスは強い陽光への対処かもしれないがどちらかというと小道具だ。というか、眼前の光景丸ごと出来の悪い小芝居である。ここは白砂のビーチなんかではない。
 しっかし本当にここにいたんだねぇ灯台下暗しっていうかこれぞ眼にサラミ? と沢田綱吉は似合わぬサングラスを胸に落として無造作に前へ出る。構えたままのライフルなどは眼に入らぬように、身長差のため顎が上がってぽかんと口の開いた阿呆面を存分に晒してから、うわぁでかくなっちゃってやんなるねなどとほざいた。
「その後調子は?」
「別に」
 別に躰はなんともない。別に、ほかに行く所などない。
「大変効率的なお返事ありがとう、とでもいえばいいのか?」
 前だって結構フラフラ出歩いてたじゃないかと。
 実はそうだが、そうなった原因のほとんどだったりする男にいわれたくはない。
 裏マフィアランドの責任者という立場は確かにアルコバレーノとしてのコロネロに割り振られたもので、特に思い入れがあったわけでもないがそれでも請け負った仕事だ。手抜きは無い。そういう前に、まあほとんどオレのせいかと沢田綱吉は僅かに眉尻を下げた。
 彼のせいというより、正しくは彼の家庭教師のせいなのだが。
 コロネロは何がしか口にし掛け、だが何ら掛ける言葉のないことに思い至ると短く嘆息した。代わりに事の次第を問い質す。
 案内所からの連絡で、どうやらとんでもない人間が来ることは聞いていた。バカンスならばそれこそ、おっかない両手の花を引き連れてビーチなり遊戯なりに耽ればよいものを、好き好んで島の裏に御用事とは。
「あれか、例の逃走癖か?」
「君に会いに来た決まってんだろ」
「おう」
「あとスカウトね」
「んだとコラ?」
「これでも結構いろいろ考えたんだよ?」
 だから、一体、何なのだ。
 先程まで綱吉の両腕にぶら下がっていたハルと髑髏は脇に控え、ボンゴレと同じような喰えない笑みを浮かべているだけで大変居心地が悪かった。女を敵に回すのは頭の足りない馬鹿のすることだと心得ている。彼女たちの双方がその気になれば師団とはいわないまでも一個大隊程度は相手に仕合える能力の持ち主であれば尚更に。情報戦と幻術の差異はあっても、沢田綱吉を敵に回すというならばコロネロといえど容赦はしないだろう。
 彼が一体何を伝えにきたというのか―――今更に悪寒が背筋を伝う。
 コロネロ、と呼ばれたのは今まさに躰が勝手に戦闘状態に入らんとするタイミングで。
 声のニュアンス、ただそれだけで岩場は吹き寄せる海風もそのままボンゴレの御前と化した。自分で否定したそれを体現しているのが当の本人だなんて、どんな悪趣味な冗談なのか。
 その癖さっさとそんな気配は消し去って。まるで子供の顔でいうのだ。
 これは提案なんだけど、と断ってから彼は一言。
 ―――アイツの悔しがる顔を見てやりたくは無い?
 誰と聞き返す必要もなく。
 不覚にも、コロネロはイヴを唆したサーペントの囁きを実体験してしまったのである。

コロは釣果ですが餌でもあるのです。

2007/09/29 LIZHI
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