あなたのいない間に

 少年はそもそも細身の躰をより縮こませて、文字通り火を灯したような光を放つ青年の視線からそっと逃れた。といっても、えげつない拘束椅子に束縛されている以上、それら全ては気分的かつ一時的なものでしかなかったが。
 ファイアオパールの瞳は通常、<温厚>や<温和>といったマフィアらしからぬ形容をされることの多い彼が常の精神状態ではないことの証でもあり。ここはアンティークの調度が品よく配された落ち着いた応接室でも、限られた者にしか出入りを許されない筈の執務室でも、更にいえば綱吉のプライヴェートルームでもない。

 ―――なんでオレが。

 スカルはフルフェイスメットの下で、某<先輩>に向かって声なき怨嗟をあげた。
 だいたいアレは何だって自分をここに送りつけるような真似を―――まさしく送りつける、だ。思い出すだにおぞ気が立つが意識を失う瞬間に見た、中折れ帽の下の黒い笑顔は一生忘れまい。いきなり現れたかと思えば自分のいいたい事だけ口にして、人の意見は訊きもせず一方的に荷物扱い。幸か不幸か腕のよかったらしいクーリエに運ばれて、気付いた時にはボンゴレの中枢、ボスの御前。薬の切れる瞬間までがブラーヴォと称えたいほどのジャストタイミング。周囲には銃口をこちらに向けた男たちが立ち並んでいる。そりゃそうだ。スカルは一応、敵対勢力の駒のひとつに数えられているはずだから。
 一時は上を下へとひっくり返ったマフィア界も、パワーバランスの天秤に揺られて結局は落ち着くところに落ち着いている。今よりもっと子どもの姿だった時には非常事態もあって、彼のベッドルームまで許されたりもしたのだがそれはそれ、これはこれ。昨日の敵は今日も敵。その、あるはずの制約をまるで無視して、前触れもなくスカルの前に現れたあの男のほうが余程おかしいのだ。
「ボ、ボボボボ、ボンゴレッ」
「うん?」
 その、輝くばかりの笑顔が滅法恐ろしいのだと。
 スカルは、ひぃっと恐怖に引き攣った息と言葉を呑み込んだ。基本的に沢田綱吉は話のわかる人物だが、スカルの目にもこの状態で弁明を聞いてくれるほど、青年のご機嫌が麗しいようには到底思われなかった。
 それもこれも。
「…………あんの腐れくるくるモミアゲめ」
 一体、今度は何をやらかしやがったのか。
「その腐れくるモミを呼び出したはずの日時にどうして君が届くのか、詳しく説明して貰おうかな」
 それにしても大きくなったねオレ見違えてもう少しで氷柱にしちゃうところだったよあはははは。

 ―――それは二度と目覚めぬ眠りにつけということですか!

 断っておくが、スカルの現状について当人に非は一切ない。無い筈だ。
 悪いのは全てあの性質の悪い先輩であり、ここまで綱吉の神経をささくれ立たせているあの男である。一瞬、ここにはいない元凶に意識をはせた少年を咎める様に、拘束椅子へと滑るように近づいた綱吉が、ヘルメットの頬に当たる部分を婀娜な手つきでつつとなぞった。まるでそこに直に触れられたようにぶるりと身震いが。恐怖なのかそれ以外なのかも判別のつかぬ感覚は、いっそ解り易い痛みよりも恐ろしい。
 仮令一切合財吐いたとして、それはスカルが被害に遭った状況説明にはなっても、青年が欲する答えにはなり得まい。どころか、余計に綱吉の機嫌を損ねるだけだと第六感が主張する。それゆえの躊躇とすでに無意味なプライドが脳髄を空転させて、スカルは自分が相当に慌てているのだとメタ次元で理解した。いっそう深まった菩薩の微笑が、青年の感情を素直に表していると思うほど楽天的にはなれない。
 その笑顔のまま、焦がれずにいられぬファイアオパールが希少性の高い遊色効果に揺らぐ。些細な光の悪戯のようにも見える変化とも呼べない変化を目にして。
 ―――あの馬鹿。
 少年が何をか発する前に、ボンゴレ十代目は長嘆息のあと俄かに視線を和らげたかと思うと、手元のボタンひとつで虜囚の拘束を解いた。
 次いで、林の如く立ち並んでいた男たちも潮が引くようにその場を後にした。さすがに二人きりにはされないものの、必要以上の警戒は解かれたということだろう。それは彼らが綱吉の判断を何より重んじ、信じているということに他ならない。
「……ボンゴレ?」
「何? もしかして意外と気に入ったとかいう?」
 コレ、といって。やろうと思えばおそらく電流が流れるくらいはするのだろう、拘束椅子のスイッチを握って、ボンゴレは己が手元と慌てて腰を上げたスカルを見比べた。
「勘弁してください、ボンゴレ。オレそういう趣味はないんです」
「否、オレも別にないけどさ」
 至極あほらしい会話で、けれども綱吉の眼は少しだけ力が足りない。
 なんとなく、言葉もないまま御免ねといわれた気がして、却って戸惑った。酷い目にあったのは確かだが、それだって綱吉が悪いわけでは、多分ない。戸惑いを誤魔化すように、あちこちの関節が痺れたような躰の具合を確かめていると、ライダースーツの胸元から暗色のカードが零れて落ちた。滑るように青年の足許へとたどり着いた記憶にないそれに、あ、とスカルは反射で声を上げる。
 それに躊躇いもせず拾い上げた綱吉の手のほうが早く。今は柔らかな透明度だけを残す青年の双眸が瞬間瞠られたかと思うと、次いできゅっと眉間に皺が寄せられた。唇が音のない形だけを綴る。
「ボンゴレ?」
 ついと差し戻されたカードには流麗な筆致で、あまりに素っ気無く、仕事は引き受けたという旨の言葉が並んでいる。
 本当に―――馬鹿な先輩だ。
 綱吉が何の為に彼を呼んだのかスカルは知らない。が、けして仕事のためだけでないだろうことは、感情を押し隠したような綱吉の顔を見ればスカルにだって判る。だからこそ、怒りやそれ以外の何かへの緩衝材として自分を差し出したのだとしたら、今度こそ真剣に、切っても切れない腐れ縁の切り方を考案したほうがいいかも知れなかった。
 どうにも迷惑をかけたねと、ボンゴレ十代目は本人の意思を無視してメッセンジャー代わりにされたスカルへ、困ったように笑みかける。
「お詫びといっては何だけど、食事の相手でもしてくれたら嬉しいな」
 うちのシェフもオレ一人じゃ腕の振るい甲斐がないだろうし、もちろん無理にとはいわないけどね。
「それは、喜んで」
 薄暗い小部屋から抜け出せるからというだけでなく、スカルは喜色をはらんだ声で答えた。どうやら自分は綱吉の客として、この邸に受け入れられたらしい。今回は、の注釈つきであろうとも。
 その席が本来誰のために用意されていたかなど、考えるまでもないだろう。
 だからスカルは、考えてなどやらない。
 一度手放したら二度と手に入らないものだってあるのだと、今は何処にいるとも知れない男に教えたかった。

「カエルの王子」流れで、少年スカ+ツナ。アルコ'sはもう結構育ってる模様。ギャグなのかシリアスなのかわからない微妙なブツになりましたが、このシリーズ自体がそんな感じになりそうですよ。ちなみに元のタイトルは(いらんて)『閑話 スカルの受難』でした……。

2007/08/19 LIZHI
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