たちのわるい話・刻印

 ここに固く閉ざされた門があったとして。
 それを、内側から開けさせるものの一番といえばやはり、祝い事と花束だろう。
 茶色の髪と、見る者に柔らかな印象を与える虹彩を持つ少年、見事な仕立てのスーツに両手一杯の花を抱えた彼は、どこかはにかんだ笑みを浮かべて家人を見上げ、それに相手が微かな動揺を覚えたところで、急な来訪の意図を端的に告げた。

「ボンゴレ九世の名代で参りました。<姫のご誕生心よりお祝い申し上げる>とのことで御座います」
 ―――出会い頭に滔滔と述べられた祝辞は、家の者に別な意味での混乱を与えた。ボンゴレといえば、あの<大ボンゴレ>に相違ない。確かに自らも歴史と伝統を誇るマフィア、ジッリョネロの血を引くものであったけれども。現在の本家を主流とするなら、傍系ということになる。そこに生まれた女の赤子が、一体どうしてカードではなく、名代を送らせるほどにかの大人の興味を惹いたのか。まずそこからして不可解だ。
 ひとまず生まれたばかりの赤子を暗殺でもされては敵わんと―――こんな正面から暗殺者がやって来るかも謎であれば、そんな必要も考えられはしなかったのだが、彼がいい出したことなので―――ボディチェックをした結果、武器の類は一切見受けられなかった。ナンバーの入った毛糸の手袋が、彼の完璧にスタイリングされた衣服の中で異彩を放っていたくらいである。
 その、名代を名乗った少年はといえば、大仕事を果たした女性への賛美をさりげない言葉の端端に織り交ぜそれと知られず篭絡し。結果、親戚でもないどころか、場合によっては敵方となる競合マフィア―――なのだろう恐らくは―――でありながら、文字通り眼を開いたばかりといってよい、赤子への謁見を許されていた。
 あの笑顔の押しに負けたのだと、夫は後に振り返る。
 それこそ親戚筋がどっと押し寄せてくるよりも早く、家を辞した少年は、その後もどういう具合か余人のいない時にばかり訪れてくるようになり、まだまだ手の掛かる赤子の面倒を、他ならぬ母親に任されるようになるまで、さほどの時間を要しなかった。
 彼らはまるで年の離れた兄妹のように、しっくりとそこに納まっていたから。
「ねえ姫、オレを覚えていて」
 世話の合間に短く声を掛ける。
 そっと、囁くように、子守歌にも聞こえるように。時々本当に歌うそれは遠い国の音律で、ご免ね、イタリア語の子守歌は知らないんだよと、少年はすまなそうに謝った。そうして少しばかり哀しげな色を乗せた音を紡いだ。
 小さな紅葉の手が、少年の指の一本をきゅうと掴む。随分人間らしくなったなあと彼はくすくす笑う。抱き上げて、近づけた顔をどうしてかその小さな手がぺちぺちと叩くから、首が据わったばかりのふわふわの頭を、これでもかと撫でてやった。
「オレはもういない人間だから、姫が覚えててくれるなら、……きっと嬉しい」
 伝わっていても、そうでなくても、言葉を届ける。
 名は呼ばず、そのくせ宝物のように姫と呼んで。
 自分の名は伝えず、ただ優しい時間を共に過ごして。
「ゼーロ・ウーノ・ドゥーエ・トレ・クワットロ・チンクエ・セーイ・セッテ・オット……どうしたの、姫」
 彼女が指すのは絵本の中の二つの数字。
 少年の手袋を飾っているのと同じナンバー。彼は笑って。
「それはね、魔法の数字だよ」 と、彼女に囁いた。
 少年の訪いは、何時の間にか家の者には受け入れられていたのだが、考えてみれば確かに不自然なものであったから、少しずつその回数を減らしていったけれども。
 これほど急にもぎ取られるとは、誰も思ってはいなかったのかも知れない。当の少年のほかには。
 ある日を境に、急激に環境の変わった幼女の物心つくかつかぬかの心に、確かに消えぬ跡を残して、小さなままごとの世界は終わりを告げた。

「嘘じゃないよ、ユニ」
 少年は硝子で仕切られた車の中で、今は誰にも聞こえぬ言葉を落とした。
 本家は、当分彼女を表には出さないだろう。生粋の<黒百合の姫>として強靭に育て上げるために。これからの介入は流石に今の自分では難しい。こちらの都合に巻き込んだ九世としても、放し飼いを許しているわけではないのだ。
「嘘じゃ、なかった」
 それが、酷い失敗を犯したものであるかのように、歪んだ顔が硝子に映る。
 生まれたばかりの君は、生きることしか考えていない不定形の心は、心地良く生きるために温もりを与える他人を、他人とは認識せず、ただ必要なものだと心に刻んだろう。それを思えば、頭を垂れたくなるような疼痛に苛まれる。
 しかし、下を向いてはいられなかった。そんな資格もなかったからだ。
「愛しているとはいわないけれど」
 それはもう、疾うの昔に自分が口にして善い言葉ではなくなったから。
「愛しいと、思ってしまったよ、オレはまだ弱い」
 これからを生きてゆく少年が与える<愛>は、みんなみんなまやかしでしかないのだから。
 信じて、信じないで、どちらも本当の願いだった。

刷り込みってのは一生続く、刻印付けのようなものらしい。
同設定でぽこぽこ書きたくなりました。捏造が許されるうちに。

2008/05/25 LIZHI
No reproduction or republication without written permission.

CLOSE