たちのわるい話

 リボーンが教え子と離れて小一時間ほどを経た頃だ。
 厭な予感や虫の知らせといった、およそ非科学的だが人間の動物としての本能に訴えるものを、殺し屋は排除しない。しかし、よりダイレクトに神経に障るざらりとした質感に急かされ、躊躇することなく席を立つ。徒事でない戦闘の気配。
 止めに入る護衛を薙ぎ倒し、あるいは本気の殺意をみせることで制止した。面談室の前へ到ったリボーンを待っていたのは、冷気。否。
 ボンゴレ本邸就きの精鋭たちは、銃口を上げたアルコバレーノに怯むことはなかった。ただ、九代目の意向と彼の人に寵愛される殺し屋への信用を、無意識に秤に掛けた。そして、彼等の間に横たわっている実力差の断崖はそれ以上に大きかった。
 扉を開ける。部屋の奥には大ボンゴレのドンと、己の育てた次代がいるはずだ。この奥宮にどうやって、と、リボーンの理性が襲撃者の進入経路をはじき出そうと回転し、同時に優秀すぎる本能がそれを否定した。
 この部屋に、襲撃者など端から存在しない。
 足許を這うように漂う凍気、超圧縮されたマイナス・エネルギーが、巨大な氷柱を出現させている。ボンゴレの奥義。ここに向き合った二人の人間の、双方が使う業の結果が怪物のように聳え立つ、その現実。
 ―――どちらが。
 何があった、でなく。そこへ到った経緯ですら、なく。
 どちらが生きてそこに立っているのかと、認識よりも先に選択しようとした自分に、眩暈がした。

 未来なんか見るもんじゃない―――。
 倫理だのタイム・パラドックスだのはどうでもいい。ただ綱吉は実感としてそう思う。
 嘗て無く長い戦闘状態から、詰りは未来から皆を解放し、解放された綱吉は、一眠りする間もなくリボーンに向き合った。
 九代目に会わせてくれ、と家庭教師にした依頼―――他に何というべきか見当もつかない―――は、思いのほか速やかに整えられた。考えてみれば綱吉が自分からリボーンに何かを頼む、というのは初めてだったような気がする。いつだって状況に巻き込まれて、とか、切羽詰って縋り付いてだとか、そんなものばかりだったのじゃないだろうか。手際の良さに、お前ってば本気でオレを十代目にさせたかったのね、とお陰で認識を新たにした綱吉だ。知っていることと実感することの間には、ここでも随分と開きがあった。
 普通はそうそう会えるような相手ではないのだろう。何しろ相手はイタリアにいるというだけでなく、マフィアの、それも勢力規模で一二を争うとかいう物騒なシロモノの、トップなのである。一流企業の会長みたいなもんだろうか、というのが実のところ想像力の限界なのだが、だとしたら綱吉が会えるのは要するに縁故だろう。
 それも知人だの恩人だの人付き合いの関わりではなく、遠いながらも親類縁者のほうである。冗談のような話だ。
「別に、君を十代目に指名したのは冗談などではないよ」
 と、好々爺の面を被った人が立派な椅子の上からいった。
 これで冗談だったなら綱吉の人生は相当なお笑い種だ。実はザンザスの当て馬でした、というほうが幾許か増しな気がする程である。
 だから綱吉は、でしょうねえ、と独り言宜しく呟くに留めたわけだが、それでもどうやら護衛たちには九代目に対し不遜と受け取られた。成る程、どうりで獄寺があれほどに、綱吉に対するものどもへの過剰反応を示したわけである。舐められたら終わりというか、主への侮辱は自分への侮辱と受け取るのか、詰りボスとファミリーは同体であるとした主張の解り易いさまなのだ。そうでなければ、生きてすらゆかれない世界ということだ。
 やめなさい、と九代目が嗜めた。柔らかでありながら絶対の言葉であった。
 キモチワルイ世界、だ。正直。
「そうでなければ、オレなんかがこんなところに居やしない」
 ですよね、と綱吉は同意を求めるが如く小首を傾けた。ふむ、と九代目は思案気に頷き寄越した。
「襲名を早めろ、というわけではないのだね」
「はあ? 冗談じゃない、です」
 だったら君はどうして、そんなことをいうのだろうねと、九代目はいかにも困った風情を見せていう。我侭な孫を扱いかねている祖父のように、けれどその眼と血のなせる業で綱吉の心底を探るのだろう。
「何も、<今すぐ沢田綱吉を抹殺>する必要はないだろう。何しろ君はまだ、日本では中学生なのだからね」
 学校生活、そんなものを無造作に持ち出されて、綱吉の眼底に一瞬、怒りにも似た焔が揺らめいた。しかしそれだけだ。この部屋に入ってからというもの、感情を削ぎ落としたような顔しか見せなかった少年の、微かな変化を見逃さなかった者がいた。まるで謁見の間のような椅子に坐ったままの初老の男。

 ―――果たしてリボーンはこれに気付いているか。
 ―――それとも、彼が、見せていないのか。
 九代目の内心をそんな疑問が過ぎったが、誰もそれを知ることはなかった。

「オレの望みは変わりません。今すぐ<沢田綱吉>が死ぬこと。それによって<彼>の守護者であった人間がその責務から解任されること。指輪の回収はそちらにお願いします。当然ボンゴレとも縁が切れる、と考えて宜しいですね」
「君のご両親はどうする」
「オレはただの火種です。だったらそれを取り除くしかないでしょう」
「綱吉君、君は」
「その名前も、これからはオレのものじゃない」
「では、今だけだ、綱吉君」
 ―――君は、君の大事なものを、君を大事に思う何もかもを、切り離そうというのかい。
 九代目の顔は悲しげに見えた。そんなことが出来ると思っているのかと、哀れんでいるようにも見えた。
 仕方がないじゃないか、綱吉は思った。
 護るには、完全に護るには、そうするほかにないと知った。
「人身御供ならオレ一人で十分でしょう、あなた方は」
 綱吉は首に下げていたチェーンから指輪を引き抜いた。それを無造作に嵌めながら、彼等は、というべきだろうかと、まるで時間の澱のように存在している影のような者たちを思った。
「君は、何を見てきたのだろうね」
「語る心算はありません。どうせろくなことはない」
「そうだな、私も聞く気はない」
「答えは」
「承知した」
 それが基本的にはというだけで、特殊な守護者にまで適用されるかどうかは、今後の話の持って行き方によるのだろうが。綱吉は、今はそれで善しとした。自分に交渉ごとで九代目と渡り合うだけのスキルがないことは明白だった。
 今この瞬間にも、膝から力が抜けそうだというのに。
 だから、本気だということだけを、剛速球で。
「考えなければならないね、君の、最期を」
 考える必要などない、綱吉はグローブを嵌めた。死ぬ気丸だと自己暗示することで、サプリメントだろうと死ぬ気の炎を引き出せる。いつかそんなものに頼らなくとも、力を使えるようになるだろう。
 綱吉が何をする気であるかを悟った九代目が、嘆息をもらした。
「リボーンすら、欺くと?」
「じゃなきゃ、意味がないでしょう」
「……準備をさせよう。騙されてくれるかどうかは、判らないが」
 そして、氷漬けになった<沢田綱吉>は、ザンザスの時の轍を踏まぬようにと、氷漬けのまま粉粉に砕かれることになる。ボス候補者による二人続けての反逆は、しかし飽く迄内密に処理された。何があったかは当事者以外の誰にも判らず、ボンゴレの十代目候補が死んだという噂だけがゆっくりと、しかし真実味をもってマフィア界に浸透した。
 家庭教師であった男は、その全てを色のない眼で視ていた。

突発、どこにも繋がらない話。こうなるとツナを知る者ほどボンゴレと沢田綱吉の代わりに十代目になる人間を憎みそうです。でもま、『栄えるも滅びるも好きにせよ』ということで。

2008/04/20 LIZHI
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