徳用大袋入り三二八円
文化風俗とは国によってここまで違うものかと感心するやら呆れるやら―――。
「くそお、あいつらの所為でろくに十代目のお側にも近寄れねえ」
人目につかないことを確認し、獄寺隼人は実に悔しげに溢しつつ歯噛みした。この日、彼の唯一たる沢田綱吉が女子連合に恐れ、もとい気を使って右腕と距離を置いていたなどとは思いもつかぬことである。
もう一人の連れである山本武もまた当然のように女子に囲まれたが、獄寺と違うところは山本がそれをまったく事も無げに受け入れる点だった。結果、一旦狂騒が過ぎ去ればあとは散発的になり、その程度であれば常から注目される野球部のエースとしては言葉は悪くとも捌くのに苦労は無い。つまり、騒ぎが収まらないのは獄寺が逃げ続けているせいでもある。
勿論、いつものように彼女らに対して近付くなと宣言はした。それはもう乱暴な言種でもって宣言したのだが。
―――通じないのだ。
集団心理も相まって、二月十四日の女性陣はそう簡単に引き下がらなかった。
そもそも獄寺は帰国子女ならぬ留学生である。ヤマトナデシコと世界的に持て囃される日本女性が、今日この日に限って意中の男を追い掛け回すイベントがいまいち理解出来ていない。恋人やパートナーと穏やかに気持を遣り取りするだけの日ではないのか。
理解不能な現象はそれだけで恐ろしい。幽霊がプラズマだと説明された途端に恐怖が薄れるのと方向は逆だが理屈は同じだ。
微妙に偏見というバイアスが掛かっているのは、今現在その恐怖に曝されている真っ最中だからである。
本来は逃げる必要もないと思っている。威嚇して追い払って普段通りの生活を送りたい。すなわち何はなくとも十代目のお側に侍りたい。それが獄寺の大変にささやかな日日の望みである。
しかし、そんな獄寺を当の綱吉が許さなかった。
特に意見をされるのではない。ただただ哀しそうな視線を向けられる。柔らかな印象の双眸が少しだけ伏せがちになり、寄せられた眉が下降線を描く。小さな唇の端が教会のマリア像にも似た微笑を刻む。雀どもの囀りは喧しいだけだが、渋くも哀しげな表情には罪悪感を覚える。
獄寺としては綱吉がどうしてそんな顔でもって自分を見るのか解らない。解らないが、何故か山本は理解しているようである。状況分析すれば、自分が彼女たちを追い払う態度が原因であることも八割がた予想がついた。
だからといって、あのヘラついた男のようにチョコレートだのプレゼントだのを受け取れるかといえば無理な相談だ。
よって、獄寺は彼女たちが諦めるのを待って、こうして逃げ続けているわけである。非常に消極的な姿勢といえた。
―――もう帰ろうかな、オレ。
時間は漸く昼になったところだ。
既に、登校してきたことを後悔している位だが、この訳の解らぬイベントに乗じて十代目を害そうという不届き者が出ないとも限らない。今この瞬間に彼が困った事態に陥っているかも知れない。
だがしかし。
「……十代目は、お優し過ぎる」
それが何にも替えがたい美徳であるけれど。
学校では一応控えている煙草に火を点けた。気のせいに違いないが、校内が甘ったるい匂いに侵されているように思われて、慣れた煙が恋しくなったのだ。
教師の説教も風紀の粛清も毫も恐ろしくはないが、学校内での反社会的行為を綱吉が喜ぶことはないだろう。解っていたが溜め息に似た煙を吐き出す。紫煙が火口から螺旋を描いて昇る。
がららと社会科資料室のドアが開いた。
「獄寺君?」
「お、不良発見だな」
狼煙だ狼煙、と阿呆が馬鹿並みに明るい声で隠れていた獄寺を指した。
「もしかして獄寺君、お昼食べてないんじゃない?」
「あれじゃパンも買いにいけねえだろって、ツナがさ」
ちょっと埃っぽいけどもうここで食べちゃおうか、と綱吉がいい、それもそうだなと山本が続ける。獄寺はどうしてか呆然としてそれを眺めている。惣菜パンを手渡され、彼等が陽気にいただきますと齧り付くまで、獄寺は自ら動くこともなく状況に流された。
あのね、と綱吉がどこか悪戯っぽい表情で少し困ったように笑う。
「無理はしないでいいんだ」
「十代目」
「うん、ということでコレ」
え、と戸惑った獄寺に徳用サイズの菓子袋が渡された。中身が個包装されているものだ。疑問が顔に出たのだろう、綱吉が山本と一度顔を見合わせ口を開いた。
「山本が取りまとめてくれたんだ、それは女子連からの気持ってことで」
「アイディアはツナな」
「皆、獄寺君を困らせたいわけじゃないんだって。ちょっと、っていうか大分エスカレートしたけどさ」
「で、結果的にコンビニ菓子。公平平等だろ」
因みにオレらからはそのパンで、と十年一日の如く紙パック牛乳を飲んでいる山本が茶化した。
「菓子パンですらねえけどな」
「オレはこの日ほどチョココルネが買い辛いこともないよ。実は」
「気にすんなツナ、何なら帰りにチョコまん買って喰おうぜ」
「それ、売り切れと売れ残りが激しそう」
「あの」
何だ、なに獄寺君、と二人分の視線が寄越されて、もごもごと呟いた言葉が謝罪交じりの感謝だったかどうかは、にっこり笑った彼等だけが知っている。
ヴァレンタイン・デーは大切な人とささやかな気持を遣り取りする日なのである。
ちょっと遅れました。中学生で三人な彼等も好きです、えーとアレだ、甘酸っぱい感じ(γ兄)。因みに十代目への形容がオカシイのは獄寺クオリティだから。
2008/02/15 LIZHI
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