ディケンズはもういない

 イヴの夜にスクルージのもとを訪れた知人の幽霊は確か予告をしてくれたのだった。親切にも。
 マフィアの十代目なんてものは土台、どんな嫌われ者の吝嗇家よりよっぽど酷い死に方をすると相場が決まっている筈で、まあその件に関しては可也の所諦めている。だから死んだ自分の心配をするよりは、トップの死によって仲間やらボンゴレやら家族やら全部同義のそれが混乱したり抗争になったりしないで済むように予め整えておかねばならないというほうが、どちらかというなら綱吉の心配で心労で責務だったりするわけだが。
 計画性に恵まれないので割と大変なのだ。
 けれども死んでしまえばそれまで。
 所詮は今時な無信心の日本人だった綱吉には、天国も地獄も西方十万億土の彼方も六道も遠いものだった。死後の扱いなどはそれこそ知ったことじゃない。誰にも悼んで貰えない死はきっととても哀しいものだろうが、それは綱吉が声高に主張して善いことではないだろう。
 ところでこれは過去のクリスマスの幽霊とかいうものだ。
 赤や緑や金色の鮮やかさに眼が眩む。
「おお、ダメツナが、ダメツナがいる」
「ご本人ですよ、ボンゴレっ」
 嘗ての光景は足許の更に下に広がっている。俯瞰すれば能く見えるというものではないように思う。観光地をバスで巡るツアーに感傷の入り込む余地はないぞ。
 道連れにランボ。何故に。
「電撃借りるだけでいいんじゃないのか」
「混線したんでしょうかねえ」
「おお、牛の仔だ、牛の仔がいる」
 可愛いなあ牛の仔ォボンゴレあれは牛の仔ではなくオレです可愛いでしょうそうだね可愛かったねランボうざかったけどな!―――いっそアミューズメント・パーク気分で何が悪い。
 どれだけやる気がないんだか知らないが、人を不思議空間にぺいっと放り込んでおいて、姿も見せないとは何事だ。魔法の使えないサンタクロースのように、世界中を回っている時間が足りないとでも仰るか。だから手伝ってくださいと申し出られるのは、健気なトナカイとサンタを信じる善い子だけではないのか。
 この場合、より救いようがないとかいう分類なのかも知れない。うわあ、ありそう。
 ダメツナのクリスマスは悲惨だったり大惨事だったりするが、どこを見ても遡ってもひとりぽっちではなかった。幸せ者め。
「あれ、ボヴィーノのボス? 来てたの?」
 ていうか隣、九代目?! アンタいつの間に!
「うわああああんボスー!!」
 新事実が発覚したり。
 驚いている閑は与えてくれないらしく、綱吉とランボはシェイクされたような衝撃とともに飛ばされた。流石はインスタント・ツアー。
 眩暈がする。
「どうでもいいけど、現在って勝手に見せていいのかな。覗きじゃないのか」
「許可を取るのも難しいですけど」
 何しろこちらは見えないし触れない。寧ろここから醒めて自分の足で行ったほうが早い。
「自分じゃ行かない人間が飛ばされるんですよ、ボンゴレ」
「つまり君もだな」
 ええーじゃない。
 永遠の新婚な両親を見せられるのは息子として気恥ずかしいので、料理中の母に後ろから 「楽しいクリスマスをお祈りします、母さん!」 ランボがテーブルの上のから揚げを摘もうとする。気持はたいへん善く解る。天板一面を埋め尽くすご馳走は色鮮やかで温かで昔と違って決して溢れはしない。彼女の喜びは少しだけ控えめだ。正月にも盆暮れにも顔を見せないオレはどうしようもない息子です。
 けれど息災であって欲しいのだ。
 忘れていたがそこは海の上で、飛び出した波の上で一歩ぶんのステップを踏んで、世界を渡る。しかしどこに辿り着くのかは知れず。
 気付くと腰にしがみ付いていたランボが消えていた。振り落とした覚えはない。彼の現在に跳んだのだろうかとごくごく自然に思う。どうやら大分いい具合に毒されて来たらしい。
 懐かしい街並みは本場のはずのイタリアよりも、余程賑やかしいお祭り騒ぎ。ちかちかするイルミネーション。コンビニで売られるケーキ。商店街のここそこに輝く小さなツリー。趣味の教室に通って作られる軒先のリース。
 そしてやっぱり不法侵入だ。
「ご免ね、京子ちゃん。オレの所為だね」
 幽霊の選択基準が何かということは余り考えたくないが、ランボの言葉は的外れではないのだろう。初恋の少女だった女性は一人足りない家族の席に視線を落とし、幾分気分も沈ませた。笑っているがそう見える。祖国のクリスマスは家族よりも友達恋人に比重が高いものだが、彼女の家は繋がりが強そうだからまた違うのかも知れない。それがいっそう申し訳ない。
「でも大丈夫、明日にはお兄さんも帰るよ。日付を解ってなさそうな人だから、メモ持たせて放り出してあるからね。あれで忠実しいからプレゼントだって用意してる、あの人はとても、君を愛してる」
 ああけれどもこんなのはどうしたって反則だ。仮令夢で、綱吉の勝手な想像だって。
 そんなこと、彼女は綱吉にいわれなくたってちゃんと知っている。帰らなくちゃいけないのは、お兄さんだけじゃない。
 鮮やかなクリスマス・カラーの赤は、痛みもないのに綱吉の胸に咲いていた。
「―――たった今思い出したんだ、だから帰る。それとランボも返せよ。おい、聞こえてるか、クリスマスの幽霊!」
 眼を閉じて、開けた。瞬きが千里万里を越える。
 葬式の最中みたいな白い治療室の内に外に、黒服の男たちがいる。ベッドの患者に、一滴一滴赤暗い血が注がれている。影のように動くのが感じられるだけの医者や看護士。綱吉がボンゴレのために整えた医療施設。
 いつか訪れる未来の光景ではない。たった今、馬鹿な男が死に掛けているだけだ。
「ランボ巻き込んでんじゃないよ、オレ」
 撃たれても急所くらい避けろ。ん? 避けたのか。一応まだ死んではいない。とするとリボーンにしなくちゃならない弁明はどの辺りだ。撃たれてご免なさいか。撃たれるまで解らなくてご免なさいか。グローブ嵌めてませんでしたご免なさい、とか。
 家庭教師は不在の様子。
 本当はそこにいるのかも知れない。綱吉には男たちの顔が能く判らない。霧が掛かったようであり、他者との区別がつかないようにも思える。どうしてだ、幽霊。今までこんなことはなかっただろう。急に不安になるじゃないか。
「ボンゴレ!」
 呼ばれたことに驚いて、勢いのついたまま、綱吉は首から上だけ隣の部屋に続く壁をすり抜けた。同じくベッドの上の躰にさっきまで一緒にいたランボが重なって、綱吉にだけ見える手を振って吸い込まれた。いなくなったと思ったら、彼は先に眼を覚ましそうなのだ。善かった。
 善かった。
 用意なんか出来ちゃいないのだ。
 周りの男たちだけでなく、ベッドに横たわっている人間の顔も能く判らなかった。けど、オレだろう、お前。悪かったな、放っておいて。もしかして呼んだか?
「頼むよ、オレは帰りたいんだ」
 誰かが笑ったような気がした。
 痛みが忍び寄ってくる。未だ雷鳴のように遠く。きっとすぐに近くに。
 ―――心配かけてご免。
 最初に飛び込んだのが獄寺の顔だったから、ああやっぱり皆そこに居たんじゃないかと笑った。

ブゥオン・ナターレ!

2007/12/23 LIZHI
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