わが愛しのダッチェス
無為に広いホールで出掛けの彼とすれ違った。
「……何故にファンシー?」
「手が込んでいるって意味なら正解」
ひらりと手を振って、疑問には答えてくれなかった後姿へ首を傾げた山本に、使える回答をくれたのは例によって例のごとくの雲雀恭弥であった。本人ですら知らないような私生活を本人には悟らせず感知していそうな男である。まったく素直に恐ろしい。尤も綱吉にプライヴェートと呼べるものはほとんど存在せず、愛人関係ですら青年にとっては私事ではない。
女の影響が綱吉に与えるものは微々たるものだが、時々表に出るのはそれが綱吉にとってどうでもいいものであるからだと山本は思う。順調に人非人の道を歩んでいるともいえるが、彼の奥底が少年の恋心を後生大事に守っているだなんてドン・ボンゴレを知る一体誰が想像し得るだろう。
「今度はどんな相手だ?」
そして、沢田綱吉を知る者にとって、友人の<親しいお友達>のタイプは常に密かな賭けの対象である。今回乗り遅れたらしい山本は純粋な好奇心のみで尋ねた。因みに胴元は目の前の守銭奴。吝嗇家などという努力の人では全く無いから、経済観念が間違った方向に発達しているといえばいいのか。
その業突く張りは、そういう態度が一番性質悪いんだよなどといいながら、如何にも面倒そうに答えた。
「端的にいうと『MANI DI FATA』を愛読してる」
「あん?」
「聞こえなかったの?」
雲雀はくるりと椅子を回すと、理解の遅い生徒に対する高圧的な教師のようにすっぱりといい放って細長い脚を組んだ。同時に、赤点の答案用紙のようにばさりと放り出された大判雑誌を覗き込む。こういう場合たびたび活用される時事ニュースではなく、表紙を飾るのは山本には今一どころか今二つばかり使用意図の判明しない謎の物体Xだ。雲雀といえばあと十秒で強制退去させてやると表情で告げている。
「聞こえた。で、何?」
「……手芸雑誌だよ」
出掛けに目撃した彼のチーフを思い出して、ああと古典的に手を打ち鳴らした。成る程あれはお手製だったのか。
確かに根気はありそうだなと、眼がちかちかするような手仕事を想像してみて―――どうやって作るものなのかも解らぬが―――げんなりする。仮令性別が今と逆でも自分には無理だ。あんな弱弱しいものどう扱っていいのかさえ解らない。
「誰も君にそんなものを求めやしないよ」
それにものによっては見た目より遥かに丈夫だよまったく女そのものだねと、褒めてるんだか貶してるんだか解らぬ豆知識を寄越して、雲雀はいい加減ここで時間を潰すのはよせとドアを指差した。それを綺麗に無視して山本は以前持ち込んだインスタントのコーヒーを淹れた。無言の攻防は差し出したカップで幕を引く。必要以上に文句のつけられようのない方法を考えに考えて、辿り着いたのが懐かしい日本式だというのが泣けるところだ。発祥云々には異説もあるらしいが母国において自分で淹れるコーヒーといえばこれだった。それも滅多にあることではなく、むしろ山本には寿司屋に必須の粉茶のほうがうんと身近なものである。雀百まで踊り忘れず。揺りかごで覚えたことは墓場まで。
とはいえ日本で普通に手に入る色つき湯よりは幾分ましだと信じている。味見はしたのだ、これでも。
「不味い」
「おう、飲むなよ」
これで綱吉相手には手ずから紅茶だの緑茶だの淹れるのだからやってられない。玉露なんぞ上手くは淹れられないし、独自のゴールデンルールを持っているような相手に、文句をいわれると知りつつ茶を淹れる気にもならない。それゆえの落としどころが茶色の粉だ。
「それで、どこのご令嬢をたらしこんだんだ?」
「大した偏見だね」
どちらかというと今時のご令嬢はそんな地道なことをせずとも、時間を楽しむ方法くらい幾らでも持っているだろう。偏見というより少々夢見がちな想像だ。
「とはいえ強ち間違ってもいない」
「勿体ぶるねえ」
―――仮令形は失われたとしても名は残り実も持ち合わせた、未だ隠然たる影響力をもつ社交界の往年の華。
「八十二歳のご令嬢、レディ・ドゥケッサ
ダッチェス
だよ」
こんな呼び方はされないのであしからず。お互い墓参りの後に東屋でお茶して意気投合。亡くなった逆玉旦那に綱吉が似ているといい張ります。
2007/10/20 LIZHI
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