濃緑と花と果実に包まれたサンルームには、主
ヌシ がいる。
※
イタリア最大、より正確にいえば世界規模の勢力を保有するマフィア、ボンゴレの昔ながらのシマ内にいらぬ手を伸ばした愚か者の裏家業は珍しくもない密輸だった。ただし運べるものなら何でもござれ。帽子を被ってお届けします麻薬に武器に美術品、宝飾贋札それからナマモノ。見上げた商魂だがとりあえず一番目でアウトだ。あとは黙秘。
「ブォナセーラ、シニョール・グレッツォ!」
派手な音を蹴立てて開くというよりは砕けた両開きのスイング・ドアに、魂消て哀れグレッツォはその場で腰を抜かした。護衛の存在など意にも介さず入り込んできた無頼者たちの先頭が誰あろう、ヘイゼルの髪と瞳の持ち主だと知るや否や顎を外した。ただの片手で自分よりも遥かに身長、ウェイトのある男の顔面をわし掴んだ細身の青年は、それをまるきりボールか何かのように、ほとんど予備動作無しに壁へと放り投げた。趣味の悪い家具を諸共に巻き込んだのは狙ってやったに決まっている。
小さな破壊活動はボンゴレにとっては挨拶代わりでも、投げられた男の意識はそこでブラックアウトだ。何とも幸運なことに。
「き、貴様こんな、いやッ何でここに、」
こんなことをしてただで済むと思うのかとか、どうしてお前がここに居るのかだとか。おそらくそんな風に続くはずだったグレッツォの台詞はヘイゼルの矢の様な一瞥に打ち落とされた。今頃はとある記念式典なぞに出席している事になっている我等が主がここに来た意味などまるで解っていないらしい。それでも、逆らってはいけないものには気付いたのか。
「こんなことが、何ですって?」
「ッひ、」
引付を起こしたヒキガエルのような風体が、ひいだかへえだかよく解らぬ音を肉の震える咽喉の奥から発してそれから一気に弛緩した。もしかしたら空気が出入りしただけかも知れぬと友の背後を護りつつ山本は思った。
「……ちょっと、オレまだ何もしてないんだけど」
いいたい事があるなら途中で止めないで欲しいよなーああ気持ち悪い。
「や、無理だろ」
本来は親友の専売特許である突っ込みを入れながら、おおいお前らその辺片しとけと大雑把な指令を送った。
先に喧嘩を売っておきながらあっさり意地もそれ以外も挫けた男の末路は今まで自分が扱った生き物たちに倣って貰うことにして。部下に取り押さえられた連中はともかく、問題は後片付けだなと段取りやら家捜ししていた部隊の報告やらを流れ作業に捌いて行く。まったく、金持ち相手の商売で満足していれば良かったものを、ガキどもにまで粗悪品をバラ撒き出してボンゴレの怒りを買った。挙句、奪われたのはルートや顧客だけではない信用。こんな世界だからこそ表以上の重さでそれは圧し掛かる。割に合うかどうかは本人の命の軽重によるだろう。
ルートを奪われ資金源を絶たれ、青息吐息で一発勝負、などという夢をみるからこういうことになる。今頃は綱吉の影を狙ったチームのほうもしっかり殲滅されているはずだ。
そうした雑事をこちらに任せて、もはやすっかり相手に興味をなくしたボンゴレは何を思ったかつかつかと部屋を横切り周囲の調度に合わせたような、優美ではあるが正体は鋼の檻の前に立った。じゃらりと無骨な鎖の音が耳につく。
「ツナ、地下に薬、と、そいつのお仲間がごろごろ」
「―――うん」
まるで女王への謁見のように片膝をついた彼の生返事に山本は苦笑する。
檻にいたのは一頭の四足の獣だ。
ここの目玉のひとつがCITES
サイテスを無視した保護生物の商取引であることは事前調査で判明済みである。それも繁殖種ではなく野生種の。よくもこれだけと思う種類に数の。檻に繋がれた生き物も確かに美しかった。その事実が仇となったのだとしても。
「大人しいな」
この騒動によく吼えもせず。寝ているのかと暢気な勘違いをしかけるほどだ。
綱吉の背中越しに見える、狩の前のように四肢を低く抑えながらひたと見上げる一対の宝玉。撓めたバネにも似た若い筋肉の呼吸。山本はそこに在り得ざる青草の匂いを嗅ぎ、乾いた低温の怒りに似たものに眼を眇めた。
突如場を破ったのはひしゃげたような哄笑。
と同時、綱吉の眼前で、檻と首輪に現れた赤い光点。がしゃりと落ちた枷。
見えたのは影だ。駛る影。獣は自由を得た瞬間、何の躊躇もなく踊りかかって牙を剥いた。
―――鍵を外した男自身に。
豪奢な照明を遮って頭上を通り過ぎた刹那の影の正体。あまりに力強く優美な跳躍は綱吉を追い越し、誰に銃を構える暇さえ与えなかった。
刀を抜いた一人を除いて。
「おっさん護る義理はねえなあ」
綱吉が標的でないことはあの刹那に判断をした。
我に返った部下たちが遅まきながら武器を構えたがそれは静かに制される。この状況にあってなお顔色を変えない上司たちに揃って諭されようとも、生理的な恐怖は容易に拭えるものではないのだろう。解っているが出来ることならこれ以上の刺激はしたくなかった。
悪いしくったと、グレッツォに最後の自由を許したことに山本は眉を寄せ、綱吉はそれに小さく首を振る。
鋭い牙に喉首を晒した哀れなグレッツォの躰はまだひくひくと動いていた。命があることと、躰の一部が生きていることは別のものだ。食べる為ではない血に顎を濡らした美しい獣の眼は、ただ冷たい光を湛えている。
そして気付くのだ。一切の感傷がこの命の前では余りに無意味と。
白くぶよぶよとした芋虫のような指から、自分を殺した処刑台のスイッチがことりと落ちた。
※
家の者に泣きつかれて山本がサンルームに足を運ぶのは三度目だ。
そのへんの下っ端では、ある意味主の寝室よりもプライヴェートな空間に入ることさえ出来ないし、遠巻きに清掃管理をする以外にここのヌシに威嚇されないのも目下のところは綱吉と執事と自分だけであるらしい。妙な特技を持つファミリーに動物使いがいないかどうか探してみようかと半ば本気で思っている。
学生時代の友の渾名が<猛獣使い>であったことがちらりと脳裏を過ぎった。
「おーいツナ。起きてんだろ」
侵入者の行く手を阻むほど、何時の間にかジャングル化に拍車がかかったガラスの箱庭。落ちる緑の影の褥に、まばらに光を放つヘイゼルは思った通り天然の毛皮に懐いていた。
ぽかりと開いた色硝子があわいカーブを描く。
「バレちゃったみたいだよ、ジュール」
―――今日はそういう名前の日らしい。
確か前回はイェイス、違ったジャイス、忘れたがそんな感じで適当に、何語かも判別不明のミックスで呼んでいたような記憶があるが。その前のジャルジーはその頃彼が嵌っていた菓子の名だ。しかし山本は知っている。獣がこの邸にやって来たいっとう最初に彼の口から出たものがニッポンで一番ポピュラーな<猫>の名だったことを。
執事の下した判断通り、彼は名前を定める心算がないのだろう、恐らく。
俄仕立てのトランプの騎士は、にゃあとは勿論鳴かずにぐるるると低く唸るように咽喉を鳴らした。
結局こいつにとっては何が変わったわけでもないけどねと、他人が触れることさえ叶わない背の隆起をボスは愛しげに撫でていう。連れて帰った訳ではなく、巡り巡ってあの時の獣は綱吉の許に辿り着いた。縁があればまた会うだろうねと帰りの車中に呟いたのは綱吉で、なければ作るのだろうと思ったのは山本だ。どうせ引き寄せたんだろうと、顛末を聞き込んだ雲雀の言は半分正しい。
経路が煩雑で繁殖地すら曖昧で籍が宙に浮いた格好の獣はどこへ回されようとも居付くということが無く。まして人を襲った獣の運命はどんな理由があろうとも余り良いほうに転ぶことがない。人間が彼等を殺すことがスポーツであった時代を超えようと、彼等に対する優位の精神には皹のひとつも入らない。
まるでここではないどこかへ連れて行けと叫ぶように足掻いて、彼は結果的にここに来た。
それでも野には帰れなかったのだけれど。
「大型犬なら躾も出来るだろーになあ」
しみじみ溢しても親友はといえば取り合う様子もないのだ。
「猫だし、無理そうだよね」
「うん、猫科な」
無理というかする気もないだろう。
そろそろ馴れたかと主人の不在に餌をやろうとした家人が「喰われますうううう」と執事に泣きついた話に尾鰭胸鰭背鰭がついて、最早誰も無謀を起こそうとしない。実際のところ食餌は置いておけばケモノは勝手に判断して喰うし、興味のないものには冷淡だ。
きっと毒など入れたら見向きもしないに違いない。
「武は平気なんだよなあ」
ねえという綱吉の言葉が通じたわけでもあるまいが、ちらりと山本に視線を流して獣はまた興味なさ気に前脚に顎を埋める。淡々としている癖に、これがこうして許容するものは綱吉だけだ。
多少檻が大きくなっただけ。箱庭のジャングルがあるだけ。本物にはまるで遠いはずのここには、だけれど彼がいる。
「別に噛み付きゃしないのに。合わないらしくってさあ」
「あいつら?」
「隼人とリボーンがね」
反発しあっているというか、双方が毛嫌いしているというか。つまりそれが、自他共に認める綱吉付きの獄寺をしてサンルームから遠ざけている理由だ。
「ん?」
山本は掠めた違和感に首を捻った。
「雲雀さんはあっちが絶対近寄らないし。好きそうなのに」
邸に足を向けないどころか国内にすら居ないらしい。元元自由人ではあるが。
肉食同士だからじゃねえのとは思ったが黙っておいた。
まあそのうちどうにかなるよねと綱吉は希望的観測を語るが、山本の脳裏に浮かぶのはそろそろどこかが切れそうな危険人物三名ばかり。こんなところで異種族格闘戦が勃発するのも見たくはないし。この場所を気に入っているのは山本も同様なので。
―――ああ、成程。
つまりここを気に入っている綱吉のための一時的な平穏な訳だ。
「……知ってたけど、お前ってすげえのな」
はあ? と首を傾げる綱吉はあの連中に『待て』を躾けた事実を解っているのかいないのか。
とはいえそろそろ限界だろう。
何だよと尋ねる彼をさらりと流して、まあ起こったときはそのときだと、長じるにつれ仲裁に入る努力をどこかに置き忘れてきた山本は、さてどうやって面倒を回避しようかとその時には連れて逃げる心算の綱吉ににっこり陽性な笑顔を送った。
濃緑と花と果実に包まれたサンルームには今日も美しい獣が眠っている。
・CITES/サイテス:Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)の頭文字。通称ワシントン条約。綱吉さんは国際稀少野生動植物種登録票も確保ずみと思われます。いつか旅立つ日も来るだろう、君は目下の住人。
大空専用のボックスから何が飛び出すかわからん今のうちに、ツナさんと動物ネタupなのです。
2007/10/06 LIZHI
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