誓約

 九月の雨の恩恵を受けた森は、乾ききった夏を越えて緑が息を吹き返している。
 桜に似たアーモンドは二月にほころび、冬には雨の日が増える。似ているようで綱吉の知る二つの国は当たり前のように異なった。けれど厳しい夏の盛りが終わりに近づくのを感じると、ほんの少しだけ遠い生国と時間がシンクロするような思いがする。
 さくり、さくりと進む足元で下生えが幽けく擦れ合う。
 ボンゴレの奥津城は、広大な所有地の一画に隠されるように存在している。
 表の親戚筋のために、まるで礼拝堂のような墓所は他所にある。けれどもそこに彼等はいないから、綱吉は何かに導かれるようにしてここへ来る。
 いつかどこかで見たような深い木陰に護られたその場所で。白石に彫られているのは見慣れた紋章とローマ数字だけの、あまりに質素な九つの墓だった。
 この国には長く土葬の習慣が根付いていたが、彼等が皆穏やかにここに眠っているわけではない。
 国を出て還らなかった者。埋葬されるべき躰の残らなかった者。もしかしたら、この場所を厭うた者もいたかも知れない。けれども綱吉は墓のすべてに小さな花を手向けた。
 こんな中途半端な時期に死者のもとを訪れるのは不自然だろうか。けれどもその行為は何故か綱吉の心に適った。
 八月の盆でもなく、十一月の万霊節でもなく、誰か親しい人の命日でもない。過ぎ行く夏は魂と呼ばれるものを誘うようでもあり、生者の心が彼等のもとへ近づくようでもある。
 子供時分の綱吉は、およそ墓参りなどというものに縁が無かった。
 思えばそれも奇妙なことのひとつだったのだろうが、そうと思い至るほどには綱吉は物を知らぬ子供であったし、母は何もいわず父は不在の家で、夏はただ蒸暑く心楽しいだけだった。墓地を巡る想像はそれこそ肝試しのような空恐ろしさをもたらすだけで、物寂しさなど覚えようも無い。それは、綱吉がただ幼く無知であったということに過ぎないのだけれども。
 今朝、目覚めた時に網膜を刺した光の色で、綱吉はここへ来ることを決めた。
 花束を抱えた自分がどこへ行くかを問い質す者はなく、いつの間にかこの時節の墓参は邸の者の知るところとなっていたようだ。
「誰に聞いたの?」
「お前を探したのじゃない」
「そ」
 葉擦れのひとつも立てずに気付けば背後にいた影が答える。どこぞの暗殺部隊とはまた違った普段から喪服の彼は、ただ花を持ってきただけの綱吉よりも余程この場に似つかわしい。
「おかしな奴だな、お前も」
 時期のことをいいたいのかなと思えば、そいつらがそこに居る訳じゃなかろうにと。そんな風にものをいいつつも、リボーンは帽子を取って胸に置く。
「うん、それはね」
 訊けば、特に意味のある行動ではないと彼はいうのかも知れない。
 綱吉は自分でも不思議に思う仕儀を今更問われて、ぼんやりとした輪郭の収まりよい形らしきものを漸う見付けたような気持がした。あの立派な墓所には彼等の匂いがしないのだ。
 記号であることは同じだろうに、捧げるならば何故かこちらが良いと思う。嗅覚は本能に近いところにある。
「なんだろう、親近感かなあ」
「―――墓なんざどれも同じだ」
 大体そんなもんを抱く余地がどこに、といいかけたリボーンはふと押し黙り、前を向いたままの綱吉の横顔を視線で刺した。そいつは冗談だなと、どこか確かめる風なのが可笑しい。
「当たり前だろ」
 オレは皺くちゃのジジイになるまで生きるんだ。そんで老衰で眠るように死ぬの。
 そりゃ奇跡的だいっそ天然記念物にでもなりゃあがれと、リボーンは脅したいののか落としたいのか判らぬ台詞を吐いた。命の消えた天然記念物はコレクターの手で剥製にでもされるのだろうか。酷いなあと綱吉は応えた。
 仮令そこには居なくとも、躰は塵芥に帰したとしても、それでも残るものは残るのだろう。それがいったい何かという問いに答えられるほどには、矢張り綱吉はものを知らないのだけれど。
 風が、渦を巻いて地表から天へと吹き抜ける。
 どうやらそろそろ引き上げ時だ。獄寺が痺れを切らす前に戻らなければ、幾ら敷地内といえども捜索隊が出されかねない。
 捜しに来たのではないといいながら、リボーンは綱吉に付き合う心算であるらしい。
 ―――これは、懺悔ではない。
 密やかな場所に背を向けて来た時と同じように、今度は二人で、青くあえかな音を立てる下草の小道を踏み進む。ひょっとすると木々の葉が落ちた寂しい季節になる前に、綱吉はここを訪れたいのかも知れない。
 長い時間をかけて彼等が護って来たものは、綱吉が壊してしまった。
 信念と呼ぶには痙攣的で、けれどどうやっても後悔出来ない。だから花とともに捧げるものはひとつだけ。
 オレは、オレの護りたいものを護る。
 どこまでも強欲に、そのためならばボンゴレすら否定して。けれどその歩みの下にあるものは忘れない。
 祈りでもなく。願いでもない。いうなればこれは、この上なくマフィアに似合いの行為だった。
 立ち止まり、肩越しに墓所を振り返った綱吉をリボーンが呼ぶ。お前もその中に入っているのだといえば、彼は怒るだろうか、呆れるだろうか。どちらも有り得そうで綱吉は今にも伝わりそうな想念を澄んだ晴天の空にかき消した。
「今行くよ」

 ―――誓約 プレッジ

 ただ神にではなく。



「ところでお前彼岸て知ってるか」
「…………あり?」


シリアスの決まらない沢田綱吉を愛しています(これではただのアホの子だ)
もしもリングを壊した場合の反応として。

2007/09/21 LIZHI
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