カエルの王子

「呪いならオレが解くから!」
 口には出すまいとしてきたことを、綱吉がよりにもよって彼の家庭教師に叫んだのは、確かに魔が差した一瞬ではあったけれども本心には違いなかった。それが見たこともないようなリボーンの怒りを買うのではないかと綱吉は思っていた。振り返ったリボーンの顔に浮かんだのは怒りではなく失望に似たものだ。冷水を浴びせられた全身は次いで沸騰した血流に沸き立った。希望というもののひとかけらもリボーンが得ていないのは明らかだった。あのリボーンがだ。
 ―――ゆるさない。
 そんなものは何であろうとゆるさない。
 蒼白になった顔色が、既に隠すことない感情に薄赤く染まっていくのを、リボーンは、言葉も無く見詰めていた。もしかしたら呆然としているのかも知れない。この自分が。そう思えば悲しいようでもあり、可笑しいようでもあった。変われば変わるものだ、とまったく場違いな感慨にとらわれもした。
 ボンゴレの血はそもそも傲慢なものである。
 忘れていたわけでは、リボーンはけしてなかった。環境に抑制された因子を叩き起こしたのはほかでもない自分と、自分に連なる世界だった。アルコバレーノと綱吉の出会いはかつて九世に託された必然であり、次代のボスとして少年を戴くことになる全てに影響を与えても、原色の混沌に沈んだ彼らの在り様が変わるわけではない。何故かそう信じていた。
 諦めていた心算はない。
 ―――そうだろうか。
 紛れも無い同胞の誰かがすべてを振り捨てても得ようとしたものを、同じように得ようとしたことは。
 いや、と永遠の赤子は首を振る。ボンゴレに、ここにいること自体が、リボーンの望みに繋がるはずだった。いつかはという仮定と淡い希望に立脚した代物であっても。綱吉がいうはずのない言葉を口にしたのは、リボーンが無意識にそれを捨てようとしたからだ。
「オレはおまえを諦めない」
 胸が震える。
 これは怒りだろうか、勝手をいう彼への。
 望みを忘れかけさせたのも、心底からの渇望を呼び覚ましたのも、まるで正反対のふたつながら、今捨てようとしたもののためではなかったか。<沢田綱吉>という鎖のためでは。
 まるで幾重にも重なったそれ自体が呪いのような。
 だから、捨てようとしたのだ。

 ああ、愛したものの口付けひとつで解ける呪いであったらどんなにか。

 淡雪のような願望が俄に胸裡をかすめ、あまりといえばあまりのそぐわなさに、一転噴き出した。緊張の糸をぶっつりと無造作に断ち切られて、あのなあと綱吉が、疲れたように吐息した。その様が随分と板についたものであったことに過ごしてきた年月を見る。
「笑う場所か、これが」
「おまえが生意気をいうからだ」
「返事は」
「いるのか」
 綱吉のあれは、宣言だ。そもそも返事を求めていたわけではないだろう。
 いつの間にか予想外の方向へ成長を果たしていたらしい教え子は、半ば口を開きかけ、やがてくしゃりと自身のくせ髪を握りつぶして、まいったよと両手を上げた。彼を襲った恐慌はどうやらとうに過ぎ去ったらしく。それはそれで大分むかつく話だなと、基本的に誰より傲慢に出来た精神構造がお仕置きの必要性を打診した。伸び上がっても届かぬ襟元を視線と指先で引き寄せて、それを許す彼に至近距離でにと笑う。おいツナと、ボンゴレを呼ぶにはぞんざいな昔ながらの渾名で。
「そこまでいったからにはお前、楽しみにしていろよ」
「リボーン?」
「楽しみに待ってろ。そんで―――死ぬほど後悔させてやる」
 傲岸不遜もいいところの言動となにより妙な煌めきの生まれた表情に綱吉は。
「……怖いこというなよ、先生」
 でもまあ、と。今では滅多と披露されなくなった、酷く柔かい顔でもって、仕方ないから待っててやるよと軽やかに告げる。

 ボンゴレの死神が一時姿を消したことは裏世界で密やかに囁かれたが、肝心のそのひとは微笑するに留まったので謎は謎のまま。
「でもオレお姫様じゃないしね」
 どこか吹っ切って楽しげな青年が大人しく待っているだけの筈も無く。のちにマフィア界を引っ繰り返す騒動さえも嬉々として乗り越えた十代目を初代の再来と呼ぶ声が高まった頃には、名実ともに綱吉の意思こそがボンゴレの意思であると内外ともに認めさせることになる。
 その彼のもとには、磐石の側近のほかにかつてと違う、けれども同じ空気を放つ黒衣の存在が傍らにあったのだけれど―――実はこのとき綱吉は気づいていなかった。己の執着とリボーンの執着が酷く似通った違うものであることを。
 遠からず、オレ早まったかなあと呟くことになるのだが、後悔はしていないからそれはそれでよいかと思っている。

アルコの呪いが原作補完される前の駆け込みUP

2006/10/28 LIZHI
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