黒川 花嬢の見解

 沢田綱吉は駄目男である。
 勉強ダメ、運動ダメ、おまけにチビで貧弱で気が弱い。略してダメツナ。上手いこといった。
「……は?」
 だから花は、何の冗談か聞き間違いかと思ったのだ。どんな流れでそんな話になったかはもう覚えていない。心情的に置いていかれた花を余所に親友はにっこり笑って繰り返した。
 微笑めば背後にお花が開く。贔屓目なしに京子は可愛いと思う。
「ツナ君てすごいねえ」
「……どこのツナくんだって?」
「もう花ちゃんてば。ツナ君はツナ君だよ」
「……沢田? うちのクラスの?」
 ダメツナのことかと訊いても京子はにこにこと嬉しそうにしているだけで、毒気を抜かれた花は「ああ、そう」と意味の無い相槌を打っただけだった。購買の烏龍茶の紙パックの匂いが鼻に付いた。
 ―――よく、解らない。
 思うに沢田の何がダメといって、自分のことをダメツナだからと納得してしまう辺りがダメダメだ。よっぽど自分に自信がないのか単に押しが弱いのか、正当性のこれっぽっちもないような雑用を押し付けられて反論もしない。押し付ける男どもも猿並に馬鹿だが、別に花は正義の味方でもなんでもないので「ああ馬鹿だなあ」と思うだけである。さして腹は立たない。
 そういや獄寺が休みだったなと花は最近見なかった光景にひとり納得した。
 忘れ物を取りに戻ったら特別教室を掃除しているのは一人。
「あ、黒川 花」
「無意味にフルネームだなー、この沢田綱吉が」
「いやお前も意味わかんないし」
 よいしょ、と黒板消しを手に土台を使わず爪先立ちしている同級に、花はほいと手を差し出した。解っていないようで男にしては大きな眼がきょとと見開かれる。自分でもこの時の行動理由は謎だ。強いていえば、無意識に京子の言葉があったかも知れないと思ったのも後のことだ。
「よこせっつってんの」
「いや、そんなワケには」
「つべこべいうな。あんたは他の仕事やりゃーいいでしょうが」
 こーゆーのって普通男女逆だよねーと冷やかせば、沢田はさして反論するでもなく椅子を片付けながら「そーだよなぁ」と肩を落として同意した。その割りに落ち込んだ様子は見えない。形だけつくってみせて流された気がどこかした。
 それとも慣れているのか。
「あんたさあ」
「何?」
 声はいつの間にか近かった。さっきとは逆に沢田は花に向かって手を差し出していた。
「クリーナー、掛けて来るから」
「ああ、うん」
 残りの作業はもう終わったらしい。それで? と沢田は白やらピンクやらに染まった黒板消しに眉を顰めた。それが意外に綺麗なラインを描いていることに気が付く。拍子に、ぱらりと掃いたばかりの床にチョークの粉が零れた。背は低いのに、花より幾分大きな上履きが靴底でそれを擦る。
「……忘れた」
「んだよそれ」
 ヘンな黒川。くっと寄せた眉頭に小さな皺をつくって、困ったように笑う。
「ありがと、助かった」
 だからもう行っていいのだと表情と態度が示す。
 教室を出て行く後姿に一瞬とはいえ気を持っていかれて花は。
「……ダメツナの癖に生意気」
 線、引いてんじゃないよ。教壇から教室を振り返って、適度に整った静かな場所を眺めた。

 沢田綱吉は駄目男である。
 勉強ダメ、運動ダメ、おまけにチビで貧弱で、いいとこなんか一つもない。略してダメツナ。上手いこといった。
 クラスの男子数人と、ついでにどこぞの風紀委員長が欠席の後やたらめったら怪我をして学校に出て来たのには驚いたが、一見したところ彼らは何ら変わるところの無いように見えた。いつにも増して獄寺が沢田にくっついて回っていたりはしたが概ね何時も通りだと。尤もこれは獄寺のファンクラブにいわせれば逆になるらしい。色眼鏡って怖い。
 京子が何かを知っている可能性は表情から見て取れたが花は訊かなかった。彼女は嘘が吐けない。ただ、出て来た沢田たちの顔を見て安心していたようだったから、それ以上に何かを問いただす必要性を感じなかっただけだ。
 いい出しっぺが誰だったかもよく解らない。微妙な機微を含んだ女の子たちの会話は共感が無ければ要領を得ないものだ。
「あ、あたしもちょっと思ってた」
「実は私も」
「微妙に認めたくないけどねー」
 どうやらきっかけが無かっただけで、似たようなことを考えていた子は結構いたらしい。花はびっくりした。というか呆れた。ついさっきまでダメツナと呼んでいたのは彼女たちだ。昼休み、我がクラスのアイドルどもを見ようによっては独占している状態の彼だから、見当違いに含むところがあっても理不尽だが理解は出来る。
 それを、可愛くなった、などとは。
 花はちらりと購買へ向かった親友のことを思う。聞いているうち何とはなしに厭な気分になって口を挟んだ。
「そおかあ? 別にあのまんまダメツナじゃん?」
 それはそうなんだけどさあと、クラスメイト達はお互いの顔を確かめるように見ては、ねえ、と頷き合った。何が「ねえ」だか。
「なんつーかマスコット的?」
 それあるーと同意の声が上がった。少なくとも男が使われて喜ぶ形容ではあるまい。
「なんだそりゃあ、ストラップにでもしたいワケ?」
 花のそれは冗談口だが、過去に真剣にストラップにされかけた某少年たちには酷な話であることを彼女が知るはずも無い。幸運なことに昼休みには大抵教室から消えている三人組だった。
 あの頃と何か変わったことがあるというのなら、彼らがつるむようになった事の方が大きな変化だと思う。一人が当り前だった沢田、孤立を選ぶ獄寺、人気者で誰にでも愛想のいい山本。案外似ているなんて我ながら奇妙な感慨だ。
 誰かが、ダメツナ呼んだら昼休みを彼らと一緒に出来るのではないかと提案した。さすがに見ている人間はいる。けれど無理だろうと花は思った。
 ―――だって、沢田だし。
 周囲からはじき出されるのと、彼の拒絶と、どっちが先だったかなんて知らないが。
 何でも受け入れて許容して、やんわり、それと知られずに、一枚布の向こう側に、いる。多分、花にはもう届かない場所だ。あの教室でおぼろげに感じたように。多くの人間はそこに届かない。菓子のおまけか何かのように見ている彼女らも。
 到達不可の場所で少年は曖昧に笑っている。
「……馬鹿馬鹿しい」
 自分の思考に向けた呟きは女の子たちの華やかな声にかき消された。
 早く京子が戻ってくればいい。

黒曜編を経て男っぷり?を上げた綱吉に。いや、花ちゃん惚れてませんよ。彼女の基準が京子ちゃんにあるだけです。

2006/02/23 LIZHI
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