唯心に深く

 与えることに躊躇いはなかった。少年は何も持ってはいなかったから。

「ツっ君て躰が弱かったのよね」
 こんな小さな頃の話よと母親は懐かしい物思いを、出会った当時より随分と育った感のある幼児に語った。懐かしく、それでもほんの数年前のことだと思えば嘘のようだと。年齢に見合わぬ落ち着きでコーヒーを含みながらリボーンは頷いた。馬鹿牛も拳法家も毒サソリも不在の静かな午後である。気に入りの店のコーヒー豆の香りがダイニングに漂った。
 増加の一途をたどる同居人とエンゲル係数をものともしない、ほやんとした雰囲気を裏切る豪気なひとだ。そばで爆発が起ころうとも日常を続けられるというのは一種の才能だろう。彼女の手になる食事はどんなに簡単なものであっても、手が込んでいるものも、同様にあたたかな色を宿している。ボンゴレはいつかこの優しい女から息子を奪うのだ。近い未来に。大事にしろと綱吉に繰り返すのは罪悪感からではない。彼の未練が出来得る限りこの場所に残らないように。後ろ髪を引かれるものはより少ない方が楽だろうと。それは、お為ごかしですらない。
「私に似ちゃったのね、あの子、病院のベッドにいるほうが多かった」
 お友達は出来ないし、病院じゃ出来てもすぐに別れなきゃならないし。幼稚園には数えるほどしか通えなくて、同じ年頃の子と話す機会も少なくて。ほら新聞に載ってるアマチュア写真てあるじゃない。公募っていうの? 鳥とか夕陽とか、良くある構図だなってリボーン君がいうならそうなのねきっと。そこに混じって公園の砂場で一人で遊んでる子どもの写真があったの。しゃがみ込んだ後姿の、ツっ君だったのよねそれ。髪型でわかっちゃって。
「子どもって敏感よ。違うものはすぐに判るの」
 小学校の四年生も終わりになって、ようやく病院と家を行き来する生活は落ち着いた。けれどその頃には息子と周囲との間には決定的な溝が出来てしまっていたのだ。勉強や躰のことだけでなく。
 綱吉自身はただの子どもでも、綱吉の存在は異質だった。それは奈々にも解っていたのだ。
 越えることの出来ない断崖に立って向こう岸を臨みながら、綱吉はうすぼんやりとした憧憬と諦念とを瞳に浮かべる少年になった。けれど不思議なくらい誰かを羨んだりはしなかった。手を、伸ばすことを知らぬように。周りの溝は深かったが彼を覆う繭もまた強固だった。
 だからリボーン君が来てくれてから綱吉が生き生きしてるの見るの、本当に嬉しいのよ。
 そう、彼女は。

 与えることに躊躇いはなかった。少年は何も持ってはいなかったから。

 なかった、本当に?
 上辺だけでも地球上の他の多くの地域よりは―――それが何によって成り立っているかはさて置いた―――平和な生国。いつ帰っても暖かな家とそれを作り上げる包容力を具えた彼の母親。詰らない話題に埋没する日々ですら。何もないと諦めていた少年は実は多くのものを手にしていたのではないか。仮令全てが泡のようであっても、中にいる限りは確かな。
 無彩色だとばかり思っていたそれは、角度を変えれば虹色だったかも知れない。
「知ってたんかな、ツナの母さん」
 長い脚を持て余すように折りたたんで壁際にしゃがんだ山本がひとりごちた。どちらも相手ではない方を向いているからまるで独り言の応酬だ。
 現ボンゴレの母親の所在が敵対ファミリーに知れたのは運が悪いとしかいいようがなかった。家も土地も名前すら違っても情報が洩れる時はそんなものだ。そして綱吉は出る訳にいかなかった。せめてと彼は気心の知れた者を使わしたのだ。もし万が一、奈々に接触しなければならない事態のためにも。そして本家を手薄にさせないで仕事を全うする為の機動力に長けた少数精鋭を。奈々の身柄は密かに移動されて残るのは後始末のみだ。
 転がった男たちの屍の上で一服。そんな優雅なものではないが。
 どうだろうなと呟けば意外そうな顔が何時もと違って低い位置からリボーンを見上げた。
「はぐらかしてんのと判んねーのどっち?」
「必要なかったからな」
 ふうんと返る相槌も殊更軽い。必要以上に肩に力を入れないのは青年が意識的にやっていることだろう。集中力も折り紙つき。この男もまたボンゴレのために欲した才能のひとつだ。本人にそんな心算は微塵もないのだろうが。
「だが承知した。それが全てだ」
 生活を変えること。口でいうほど容易ではないこと。だが綱吉がボンゴレであるためには不可欠だった。そして彼女は頷いた。いとも簡単にこちらが心配になるほど至極あっさり。国を出る息子にせめて後顧の憂いのないように。
 ボンゴレの鎖は綱吉を手放さない。だから自分に許された限界を彼らに託した。
 会いたいのも会えないと思うのも全部オレの身勝手だよと、彼は。
「血縁があるのはお前も一緒だがな」
 危険はゼロではないが彼ならば綱吉ほど全てを制限されはしない。どうなんだと問えば山本は「あー」と唸るような考えあぐねるような声を発した。根性悪いなとも。
「会わねーよオレは。つうか、何もなしに戻ったりしたらぶっ飛ばされる」
 くくくとリボーンは小刻みに肩を揺らした。舌を出していた青年はあれと思い当たったように空を向いて、一転、酷く晴れやかな笑みを浮かべてみせた。リボーンの下瞼がぴくりと動く。何というかその反応はどうかと思うぞ山本武。人として。
「何、気にしてくれてんのツナ」
「……嬉しそうだな」
「おう」
 ツナだしなとの返答にならない返答に溜め息を落として腰を上げる。データに落とされてしまったほうは別部隊がそれこそ虱潰しているはずだ。
 せめて、綺麗に、綺麗に消毒していこうと決めた。
 彼に良く似たあのひとに哀しい眼をさせぬよう。そのために血を流すことしか出来ないとしても。永遠に知らないでいて欲しいのだ。仮令気付いても笑っていて。それは確かにひとつの理想だ。かつて手放した泡のように。
 泣きたくとも泣けない彼の代わりに貴女への愛エゴ を。

さらっと綱吉の過去捏造。小児センターに通いまくりの子だったり。そして奈々さんのその後を考えるパターンその1。家光さんの存在如何でだいぶ変わると思います。生きてるんなら夫の単身赴任?にくっついて世界を飛び回る夫婦でもいいよ(あの性格だとラブラブだろう)そのせいで綱吉ってば高校の時あたりで一人暮らし状態になりそうだという感があります実は。いやほんとどうなんだ家光さん。

2006/01/13 LIZHI
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