教理問答

「汝殺すなかれ。汝姦淫するなかれ」
 あ、そうだ。汝安息日を聖とすべきことをおぼゆべし。オレ休んでないじゃん、やべーやべー。
 ぶつぶつ煩い馬鹿を見下げ果ててリボーンはCZ75-1STを構えた。今頃十戒唱えてんのか貴様。九代目の私邸の一室はここ数ヶ月のうちにすっかり綱吉の私室となっている。キングサイズのベッドの上でごろごろと炬燵の猫のような男は、どうにも半分眠っているらしかった。それでも音もなくドアを開けた気配には気付いたか。相手がリボーンだと知るやくたりと元に戻ったが。
 ―――殺し屋相手に安心してんじゃねえよ。
「堅信講座終わったんならさっさと帰れお前」
「週一でこっちに来るのもいい加減面倒だよねえ。今日は泊まりデス」
 夕食を一緒にって約束なんだ。久しぶりだよね。
「オヤジが?」
 だったら仕方ねえと。あっさり前言を翻すリボーンに相変わらずだなと綱吉は苦笑いした。仕方ねえだろ、あれはドンなんだ。うんそうだね、物凄い迷惑蒙ってる人生だけどオレあの人好きだよ。
 どうしてこの時、無理やりにでも追い返しておかなかったのだろう。
 それとも、いつかは起こったことか。
「―――ツナ、ツナもういい」
 リボーンが食堂の扉を開けた時には嵐は既に終わっていた。
 テーブルを離れ立ち尽くす綱吉の足元には、あり得ざる方向に右腕右脚を曲げた男が半身を血に染めて転がっている。左肩から二の腕付近の動脈を傷つけたのは丸鳥をサーブした二股のフォークだろう。やろうと思えばナイフで頚動脈を切断することも出来たはず。だから大丈夫だとリボーンは彼に近づいた。けれど一体何が大丈夫だというのか。
「ああ、リボーン」
 虫がいたよ。でも口が利けなくなっちゃって。困るよねえ。鳴けない虫ならいっそ潰してしまおうか。
「お前がそんな事しなくていい」
「そお?」
「そうだ、まかせておけ。お前あいつらを無職にするつもりか?」
 綱吉はリボーンの指した男たちを振り返り、眼を細めてはんなりと微笑んだ。そうだね、頼んでいいかな。
 男たちはただ垣間見たその存在に声もない。
 ああ、食事を中断してしまった。何のお話でしたっけ。そうそう、今日の香草は特に香りがいい。九代目は頷いた。
「手を煩わせたねツナヨシ。さあ着替えておいで」
 いや、今夜は休みなさい。お前たちあの塵を片付けてしまえ。ドンの言葉は岩よりも重い。
 ただ子どものようだとばかり思っていた青年の予想外の一面に呪縛されていた男たちは、それでようやくのこと自由を得た。間に合わなかった彼らは確かに綱吉が殺されると思ったのだ。至近距離で撃たれ血が噴出す様を想像さえした。彼が『死神』の教え子であるという事実をまるで失念して。
 畏怖と憧憬が雷のようにまだ脳を痺れさせている。あれがボンゴレに戴く次代なのだ、と。
 家庭教師に促されて綱吉も頷いた。それでは失礼します。ああいい夜をツナヨシ、愛しているよ。
 ―――愛している。だから謝ることはしない。
「頼んだよ、リボーン」
 扉の向こうに消えていくまだ小さな背に託す、願いは。

◆ ◆ ◆

 衣擦れが夜に響く。

 シャワーを浴びながら綱吉は吐いた。アッチューゲも茄子もリコッタも鳥もぐちゃぐちゃに。躰を叩く熱い雨を冷水に変えれば何かが引いていく錯覚がした。服に点々と付いた血はなかなか消えないが、人の肌に付いたそれはいとも容易く流れていく。リボーンは冷え切って戻ってきた躰にローブを放り投げ、濡れたままの髪を柔らかなタオルで包んだ。それは酷い大盤振る舞いだったが綱吉はどこか呆として現状は認識の外にあった。水気を拭い去りながらリボーンは、待つ間用意していたコニャックにも似たヴェッキア・ロマーニャを口移しで彼に与えた。何度も。親鳥が雛にするように何度も。
「……ふ、」
「自分で飲め」
「面倒くさいよ……ん、ふぁ」
 このダメツナが。唇を合わせ、僅かにずらし、擦り合わせながら注ぎ込む。酒と言葉。引き出した舌を唇でねっとりと挟み込めば綱吉の躰が震えた。「どこで覚えてくるんだ悪餓鬼」
 シーツの上で髪を振り乱しながら綱吉は切れ切れに呟いた。望みのままに声を上げていれば何も考えずにいられるのにも拘らず。
「反することを承知で罪の形を学ぶ、なんて」
 悪趣味だよね、オレにどうしろっていうのさ。
「後悔してりゃあ神は救うらしいぜ。なんせ大いなる慈悲だからな」
「じゃあオレたち絶対に救われないじゃない」
 後悔なんてしている暇がどこにあるのだと。彼方から戻って来た眼で綱吉はいうからリボーンも何時ものように不敵に口端を吊り上げる。「オレは死ぬ時に纏めてする派だ」
「お前に後悔なんてあるのかよー」
「あるわけねえだろ」
「……だろうと思った」
 ―――お前は見事な神の反像だよ。
 望むところだとリボーンは思う。この秘めやかな儀式のように彼を捕らえ続けてやれるものなら。
 弱い部分を一際強く煽られて、あ、あ、あ、綱吉は熱を吐き出す。それでも終わらない饗宴に頭の芯が溶けていく。溶け切る前に残った欠片が綱吉を引き止める。
 あの男の名を綱吉は知らない。
 彼は死んだだろうか。連れて行った男たちが何もしなくても、何もしなければおそらく出血死が出来る。そういう風に傷つけた。いつか自分が虫けらのように殺されるのかも知れない。殺されてやっても良かったのかも知れない。けれど死にたいわけじゃない。救われたいわけでも。
 オレはきっと、お前以外に殺される気はないんだよ。綱吉は思う。肌を通して流れ込む心にリボーンは願う。
 いとしい悪魔。お前はオレの、闇に瞬くたった一つの希望。

大変おかしな勢いで書き上げました。7〜8年後あたりのはず(計算が覚束ない…)

2005/11/19 LIZHI
No reproduction or republication without written permission.

CLOSE