三途の川
いかに九代目の意向であろうとも聞けるものではなかった。血筋がどうであれ極東の出の、ちっぽけなジャッポネーゼを誇り高きボンゴレのボスに戴くことなど。
だが。男は自分の賢さに自信を持っていた。そんなものは、お飾りでいてもらえばいいことだ。手足をもいでしまえばあんな青二才に何が出来ようか。国から連れてきた日本人どもを周りに侍らせて安心しているような、臆病者の曖昧な笑みを思う。そう、先代からの幹部であるこの自分が跪かねばならぬ理由があの名ばかりの小僧のどこにあるだろう。
「馬鹿ですねー」
「馬鹿だな」
女でも男でもあてがって分不相応な立場に一時浮かれさせてやればいい。そういう意味ではアレの連れてきた者たちは確かに皆小奇麗な顔をしていた。同じような考えなのだろう、他の幹部たちもまた多くは静観の構えだった。影でどれほどの牙を研いでいたかは本人たちしか知らない。
だが、コレは何だ?
「はひ、武さんツナさんの愛人さんでしたか?」
「オレ抱かれたことはないぞ」
「お願いだから抱いたことあるみたいにいわないで武」
目の前にいるこの男はいったい誰だろうか。
いや、短く刈った黒髪の背の高い青年は見覚えがある。男の小さな、だが長年に渡る裏切り行為を書面で、暢気な声音で、暴いてみせた女も。どこで、と思いかけて男は簡単な事実に気付いた。遠い国からやってきた十代目の取り巻きたち。
その二人を従え、先程から静かな視線を男に注いでいる相手はいったい何だ。
琥珀の瞳に差す光は紛れも無い王者のもの。あとの二人に比べて全体に淡い色彩を纏った温度のない視線の―――仰ぐべきドン・ボンゴレ。
困ったもんだねえと綱吉は酷く平板な口調でいった。
「ボ……ス、」
「見事な失態だな、ルチアーノ」
言葉遣いさえ常とは違う。
名を呼ばれて男はびくりとソファの上の身を固まらせる。長い時間に蓄え育てた贅肉がぶるりと震えた。これならば立っていたほうが幾分かましだっただろう。縛られている訳でもないのに水底に沈んだように身動きひとつ取れない。
男は知らないが、主の生国には名はそのものを縛る呪だという考え方がある。
「しょうがないさ、ツナ」
なんせお歳だ、と短い髪の男がいえば、そうですよ状況分析も理解も出来ないご老体ですと女がいう。
「老人には優しいつもりなのオレ。あいつの教えのお陰でね」
「つもりじゃん」
「相手によります」
リボーンちゃんだってそういいますよー。
「ねえルチアーノ」
「ひ、ッ」
ああやっぱりそういうことなんだねと綱吉は微笑んだ。全てを赦すマドンナの儚い笑み。侮っていたそれがどうしてこれほどまでに恐ろしいか。
「サポートが裏切ればリボーンだってひとたまりもないって」
そう考えた訳なんだね、浅はかにも?
男は、なぜこの部屋のカーテンが開けられているのかを知った。
明るい日差しの入る居室。周囲に高い建物はない。仮令スコープを使おうと狙われる心配は通常ありえないはずの。
そんな常識など何の役にも立たぬ存在を。
「欲をかき過ぎたということだよ」
言葉とともに突きつけられたのは、ボンゴレ幹部の全てが男の処分に賛成したという承認書だった。
「あそこのナンバーツーは結構使えたのになあ」
半分本気で残念そうに呟く山本に綱吉は苦笑した。彼がそう口にする時点で既に切り捨てているという証拠だ。
「ルチアーノ自身に実行力があるわけじゃないからね。あっちに手を回したのも実質そいつだろうし」
上司の末路を悟っていち早く逃げたらしい。ルチアーノは己の部下にも見捨てられたのだ。
まあその辺の落とし前はリボーンがつけるでしょ、とは綱吉。
高速で仕事を終わらせてきた、機嫌の斜めっぷりが容易に想像できる子供でないコドモを思って山本は肩を竦めた。綱吉がそういうならばそれでいい。下手に手を出して死神に噛み付かれるのもごめんだ。
「まったく。三途の川まで持っていけるわけじゃあるまいし」
「違いねぇ」
皆さんお茶にしませんかというハルの声が日向の部屋に届いた。
微妙に続いてる話。ツナのこれは成長ではなく開き直りだと思います。何もかも平気になった訳じゃないんですが。
2005/10/21 LIZHI
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