さかみづく

 妖あやかし が大手を振って歩ける時代じゃあるめえし。

「やっぱり莫迦どもだらけかい、当世の妖怪ってやつぁ」
 おぼろ車に揺られ道中ひっそり呟いた、月下の主である。
 後にしてきた鴆の屋敷は裏切り者の手で半焼、下手をすれば全焼の態だがそこは残った身内でなんとかするだろう。病弱だろうが短命だろうが鴆は一家の柱。己と義兄弟の盃を交わしたからには精精しっかり立って貰うとする。
 存外、あの手の野郎ほどしぶとく生き残るものなのだ。
「どうかなさいましたか、リクオ様?」
「いんや」
 地を蹴るように空を蹴る、おぼろの車音にかき消され、慨嘆は下界までは届かなくとも同乗者には聞こえたらしい。それに応えてリクオは嘘でもない望みをさらりと口にした。 「もう一本二本ばかし余計に、酒ェ積んでくりゃ善かったなと思っただけだ」
 そうして空になった杯を玩ぶ。
「酒といえば若、妖銘酒なぞどうされたので」
 鴉天狗は不思議のひとつであったらしい、手土産の出所を問うた。あれ、直ぐには手に入りませんが。
「ん、聞きたいか」
「いえ、さほど」
「ふっふっふ、企業秘密だ」
 目付け役は白けた風情で左様ですかと退いた。どうにも警戒していやがるなあと、リクオは思う。
 まあ、それで一向構わぬのだが。
 口煩い同行者の危惧には素知らぬふりで、窓の向こうの夜天を仰ぐ。長く沈まぬ妖しの月は、広がる暗海におぼろの行く手を指し示す。その、雲の波間に掛かった小舟を掠めるように、蒼い焔が横切った。
 それも、見ればひとつならず。
「やや、雨でもないのに」
「―――面白い。錫を下ろせよ、カラス」
 車の窓越しに指を出せば嬉しげにじゃれ付いてくる。脆弱すぎてリクオの意識にも留まらなかったようなモノたちである。近寄れたのは、彼等に害意がないからだろう。力を恐れる必要性が薄いのだ。
 おぼろに着いて飛ぶのは少少骨が折れるようで、つい、僅かばかりの手助けをした。力場に余裕を得たそれがひとつ、車のうちにするりと潜り込む。
「なんだ、一緒に来たいのか」
 そうだと頷くように焔の尾が揺れた。
 可愛いらしいことこの上ない様に笑みを誘われる。
「リクオ様、通りすがりに手懐けないでくださいまし、犬じゃないんですから」
「狛犬なら善いのか」
「そりゃ、神社の領分ですよ」
「あらあ、化けんだろうが」
「そういうのを屁理屈と申すのです」
 だとよ、悪いなと熱のないそれを撫でてやれば、名残惜しそうにして指をふわりと離れた。下手に知恵の回る連中より余程、引き際の心得方は見事なものだ。
「浮世絵町だ。何かあったら訪ねて来い」
 そうして小さく左右に揺れた後、焔の群れは行く道を逸れた。
 別れの挨拶に杯を満たして。
 話を聞いていたのか、純粋な好意か。あるいは、気の早い襲名祝い。
 馨しい笹の露にリクオは眼を細めやった。気が気ではないといったカラスを制して含めば、思った通りの心地良い香りが鼻に抜けてゆく。微かな野趣もまた一興である。
「遠出をした甲斐があったな」
 隣から落とされるのは、最早溜め息ばかりだ。
 所詮、何をせずとも奴良の後継が狙われるのには違いない。気を張っていたところで疲れるだけと、思い切るには目付けの性は忠の一字に傾きすぎだ。それもこれも、昼間のリクオの言動が原因ではあるのだろうが。
 奴良の跡継ぎが腑抜けというのは、最早周知のことらしい。
 人でありながら、総大将の孫である子どもなど、権を狙うものには定めし邪魔だろう。同時に眼の上のこぶは、またとない餌である。蛇太夫のようなどさくさ紛れの居直りは可愛いほうだ。
 均衡の崩れたところで頭を出そうと考えるか、崩して出ようと謀るかは土竜の性質によるとして、奴良が揺らげばどうやら闇のバランスそのものが揺らぐ。<こちら>が揺らげば<あちら>も騒ぐ、棲み分けとは何れそうしたものである。
 巷の新興妖怪どもは端から力の均衡などは思案の外に違いない。
 ―――莫迦だぜ、本当。
 妖は人と付かず離れず、認識されることによって初めて意味を持つならば、守られなければならない線は彼我の間に厳然とあるはずだ。踏み越えて善いことなどはひとつもない。
 そう考えるのは、確かにリクオのもう片方の性にも理由はあるのだろうが。
 恐らく、真の闇の昏さを忘れたのは、人間だけではないのだ。
 時代だなあジジイ、と、ぬらりひょんの力を継いだ闇の主は、盃を傾けながらうっそりと口端を上げた。
 帰り着く頃には夜も明ける。昼と夜とは入れ替わる。そうであることに意味はある。
 ふたつは相容れぬのではない。光によって隔てられるだけの、正体は同じモノである。
 それが解らぬというのなら。
「相応の覚悟を、して貰おうかい」
 守り方なら其其に。守る力も其其に。望みのかたちは噛みあわぬほど隔てられているようで。
 けれども、ひとつ模様の裏表だ、と。

「……また眠って仕舞われた」
 がっくり、と鴉天狗は肩を落とした。未だお小さいながら己には支えきれぬ御身を屋敷衆に運ばせる。無茶をやらされたおぼろ車にはなんぞ労いでもしてやろう。尤も、リクオの労いが一番効いたようではある。
 基本的にお優しい方なのだ。豪胆で情け深い。昼の姿であれ、夜の姿であれ。
 その上、ひとたび降り立てば場は全て若の支配下となる。成る程、ふらりと現れては知らぬ間にその家の主に納まってしまう、ぬらりひょんとはそういうモノである。
 だから―――なんとしても。
 なんとしても、継いで貰わねばならぬのだ。
 帰り着いた頃には夜明の兆しが見えていた。
 同時に、リクオの容貌は人間のそれに戻っており、圧倒的な妖力もまた綺麗に肉の内に収まっている。消えたのではなく収まったのだと考えるのが、目付け役のせめてもの抵抗といったところだ。
「すみません、通りますよ」
「なんじゃ首無、待っとったのか」
「まあ、行き先が行き先ですからそれは」
 盆の上にはかろんと氷の音も涼しい水差しが、ひんやりと鎮座している。向かう先は若の寝所だ。
「……随分気が利くの」
「目覚めたら、咽喉がお渇きでしょうからね。では失礼」
 何となく、釈然としない気分で見送った。
 ―――ま、よいか。言質は頂いたし。ワシも疲れた。
 三代目襲名宣言は、取り合えず屋敷中に触れ回っておくとする。朝になって素知らぬふりをされても、外堀から埋めてゆくという手がある。伊達に長く生きているわけではない。
「だからといって、素直にものを聞いてくださる方でもないが」
 それもまた、ぬらりひょんの性であれば。
 東雲に、かろん、と氷の溶ける空耳である。

一番悩んだのが本誌の月齢だなんていわない。原作全肯定。おぼろはきっと途中で異界を抜けるのです。月も闇さまのためなら沈むのを待ちます。あるいは妖術、いい響き。春の若い月は秋よりは二時間ばかし入りが遅いとも聞きますが、もっと遅い時間な方が雰囲気だ。
何だかんだ闇さまはご本人なので、昼の若とは方法論が違うだけだと思ってる。が、ちょっと筆を誤ると闇リク×リクみたいになるので危険です(←と思ってたら本誌で来たああああ)
小っさい妖(火)に懐かれる闇さまを妄想したら思いのほか楽しかった、と正直に申請。

2008/04/03 LIZHI
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