さくら・さくら

 関東平野は浮世絵町に構える奴良の屋敷には、樹齢数百を数えんとする枝垂れ桜が薄紅の花を綻ばせている。麗らかな千花万花の見下ろす庭を、年若い―――真実はどうであれ姿形はそのようにしか見えぬ―――少女が落ち着かぬさまで歩いていた。
 まばゆい白練しろねり の着物には、薄墨色で菱形の裾模様。いっそ清清しいほどの無彩色は婚葬用ではなしに、彼女の纏う常の装いである。帯に帯締め、草履の鼻緒までが白い。いっそ氷重こおりがさね の風情よりも寒寒しいが、布地に落ちる青みの陰影がどちらかとえいば降り積もった白銀の雪原を思わせた。
「若、若様ったらもう、どこに行かれてしまったんですかあ」
 季節を度外視しているのではない。それは少女のありように関わる問題だ。
 その金緑の眼が僅かに外した桜枝の上で、若と呼ばれた少年は返事をするでなしにふわあとひとつ大きな欠伸をした。
 吹く風が心地良い。満開のそれは善い眼晦ましになって、花吹雪を散らしながら地上とこことを異世界のように切り離す。
 桜の語源は神の座くらなのだそうである。
 だとしたならば、大層不遜な態度ではある。善い枝ぶりの寝床に奴良の嫡男はぺったりと、まるで骨がなくなったかのように懐いた。そうすると、桜と一体化して彼の姿はますます人目に止まらなくなるようだ。
 見目の麗しさとはまた違ってごつごつとした手触りは、いかにも年古りた風情でありどこか温かい。リクオが愛でるのはそうした時間に取り残されたようなものたちだ。恐らくは生育環境のせいであり、今時の子どもにしては少少変り種といえる感性のためでもある。
 あるいは血だろうか、と古に繋がる己が身を思った。
「うちに似合いなのはカミサマよりも妖怪のほうだけどなあ」
「それは同意しますけれども」
 と、誰もいないはずのところから相槌があり、「ん?」 と首を捻ったリクオの頭をぱさりと軽くしなやかな布地が覆う。光を透かす手触りの善い幕の向こうから、聞きなれた声が告げた。
「花見も結構ですが、まだ肌寒うございますよ。風邪でもひかれては大変」
「首無」
 微かな非難を込めて呼びかける。流石にここから落ちたりしたら風邪を引くより大事ではないかと思うのだけれど、幼少期からの世話係はそうしたことは勘案せぬらしい。頭から払い落とした羽織を肩に引っ掛け、ありがとう、と礼をいいながらリクオは宙に浮いた生首が羽織を銜えてふよふよと宙を飛ぶさまを思って苦笑した。まるで風に飛ばされた洗濯物、あるいは間抜けな怪談である。
 いえいえどういたしましてと、首無はそのままぷかぷか浮いているが、花霞に遮られて外から見えることはないだろう。ただでさえ現代日本の標準を逸脱したサイズの邸では、まことしやかな幽霊話に現実味を与えるだけだ。
「能くもまあ、そんなところで器用に本など読めますねえ」
「家の中で読むより気持がいいよ」
 問題は陽射しによる紙焼けと褪色が心配されることだろうか。真っ当な古書誌のあたりには心の底から嘆かれそうな具合である。
「はて、それは健康的なんですか」
「紫外線量を考えれば、寧ろ不健康かもね」
「……リクオ様が宜しければ、別にいいんですけどね」
 首無は物分りが善いというより、自分の領分外であることを感じ取ったらしく、置いて来た躰の方へ戻ろうとする。リクオは読んでいた、というより眺めていた和綴じの本をぱたりと閉じて懐に仕舞った。
「ねえ、首無」
「はい、なんでしょう」
「妖怪は、どうして人間に畏れられなけりゃならないんだと思う?」
「は」
「もしも人間が、全く妖怪を畏れなくなったら、ボクらはどうなるかな」
 さあ、と首無はないはずの首があるかのような仕種で僅かに頭を横に傾けた。
「そういうことは門外漢ですね」
 妖怪は人間と違って自らの存在を問うような不用意な真似はしない。
 何故なら彼等のありようそのものが、在ることの意味そのものであるからだ。形のはっきりしたものもあれば来歴の失われたものもあり、諧謔のようなものから曖昧模糊とした雲のようにつかみ所のないものどもも数多い。掴めぬ雲にも見える形があるように、妖怪とは概してそういうものである。
 それでもここに在るではないか、と。
 近頃古い本を持ち出してると思ったら、そんなことを考えてらしたんですかと感心よりは呆れの混じった声音である。別に日がな一日そんな非生産的なことばかりを考えていたわけではない。
「それにリクオ様は、四分の三は人間でいらっしゃいますし」
「四分の一は妖怪なんだろ」
「ええ、我らが次代の主でございますよ」
「だからさ」
 リクオが変化をしなくなってから早数年。否、あの変化をした夜から早数年、といったほうが正しい。次の桜が咲けばリクオは中学生である。人間の前で<妖怪>のことを口にすることは疾うになくなったし、彼等の人となり―――何と表現して善いものか―――を切切と訴えることもなくなった。どうあっても伝わらぬものは伝わらぬのだというもどかしさ。人間らしい処世というものを身に着け始めているともいえるが、それは一種の諦念に他ならない。
 こちらとあちら、かつての隣人は分け隔てられていなければならぬのだ。少なくとも<今>とはそういう時代なのである。
 けれども、リクオは人と関わることを捨ててはいないし、奴良の三代目もまた捨てられるものではない。
 だからこそ、人と妖怪の関わりというものを、双方の血を持つものとして考えざるを得ないのだろう。
「例えばさ、ガゴゼのようにたくさんの人間の子どもを殺したことを誇ったとして、妖怪が人間を殺しつくしてしまったら、そんな世界には妖怪自身も存在できないんじゃないかと思うんだ」
 だって畏れてくれるものがいなくなるんだからね、と。
「―――リクオ様」
 リクオ様はガゴゼをお斬りになったことを哀しんでおられるのですかと、首無はいつも通りの淡淡とした声音で尋ねた。リクオが瞬きを増やすと、以前、木魚達磨と総大将が話し合うのを聞いたのだと困ったように彼は応えた。

「……どうだろうね」

 さあと桜吹雪を散らす風が吹く。それは樹上のリクオも首無も薄紅の霞に巻き込むように一斉に小枝を揺らした。靡く髪、大きな眼がすうと細められ、ほんの一瞬、かつて月夜に降りた姿を幻視した首無は、気付けば既にして地上へ戻った小さな主の後を追いかけた。はて今のは随分はっきりはぐらかされたものだと、相変わらず素直だがなかなか複雑らしい主の人間らしさに思いをはせる。庭の端から鴉天狗を連れた雪女が駆け戻った。
「若あ、今日の御八つは桜羊羹ですよう」

 薄紅の花の異称を時に、手向け花ともいうのだが。

読み切りの作者紹介ページのイラストで落ちました。祝・ぬら孫連載化。陰ながら応援してます。
あのみんなで「トッ」と降り立つ描写が好きだ。

2008/03/14 LIZHI
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