詰りはそれが、刹那・F・セイエイがガンダムマイスターである証なのだ。
 ティエリアすら躊躇する一手を、迷いも無く選び取れることが。
 否。
 迷いがないわけでは、ないのかも知れない。
 かの少年のガンダムへの傾倒というものは、まるで人間世界の神を崇める妄信者の如き印象をティエリアに与えていた。
 危うく、暴走する魂というものを、まざまざと見せ付けるような。
 愚かであることを盾に取っているような、鼻につく態度だとさえ。
 相応しくない、相応しくない、ヴェーダに選ばれた存在であると知りながら、不信は燠火のように燻り続けた。
 マイスターに必要な覚悟は、戦争を根絶させる力とは、そんな子どもの振り回していい玩具ではないのだと。
 違って―――いたのだろうか。
 余りに不器用で、言葉足らずで、当たり前に理解されることすら求めなかった少年の真実は、見えない壁に遮られたようにティエリアまで届かなかったのだろうか。
 まるで盲目のようで、本当を見ていたのは彼であったのか。
 ―――今でも全てを肯定する気にはならない。
 ガンダムは力だ。
 歪みを正す圧倒的な力。
 その存在は戦争根絶の理想を体現するものであっても、そのように生み出されようと、ヴァーチェが、ナドレが彼等を撃つことが可能であるように、それを動かす中身までが常に正しいとは限らない。
 けれども眼に見えれば、人は容易く外側に囚われる。
 神の行いが信じる者にとって<正しい>ように。語りが騙りであろうとも、神の名の下に行われるそれが正しくあるはずだと、術なく信じ込むように。
 能く似た外側、能く似た言葉、鏡写しのような行動であろうとも、鏡像は決して同じものではない。そこには欺瞞が隠れ、あるいは粉飾されている。用いる言葉が同じものであろうと、それを発する根底までが同じであるとは限らない。
 今ならばいえる。あれは決して<ガンダム>などではない。
 皮肉にも誰より相応しくないと感じていた、仲間の一人と同じ行動を選んだことで。
 刹那・F・セイエイは、かつて神を信じ、恐らくは生死の狭間でそれを否定した者だ。生き残った二重の罪の中、否定しながら諦めきれず手を伸ばした者だ。
 愚かでも、歪みを視詰る強さを持った。
 歪みから生まれた鬼子が、隣り合った歪みに育てられた男と向かい合った時、何が生まれるのか恐ろしくも眼を離せなかった。
 ヴェーダ―――。
 あなたは彼等にどんな風景を見せたかったのだろう。
 母体から切り離された、初めての揺らぎの中でティエリアは考える。
 痛み傷ついた二つの魂、二つの意志を、何故にこれほど近しいところに置き給うたか。彼等が選び果てる道を、どうしてそれほどに信じた。
 届かぬものがある。届き得ぬものが。
 理想に感応したのではなく藻掻きながら掴み取った糸だとしても、今ティエリアに彼等を否定する言葉はない。私情を切り離せない人間らしい愚かさをマイスターとして相応しからずと、切って捨てる真似は不可能だと知った。
 だからこそ彼等にしか見い出せない世界が確かにそこに存在するのだ。不思議なような、胸苦しいような、酷く奇妙な想いだった。

 それを愛おしいと呼ぶのなら。


2008/02/17 LIZHI
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