【 Blood Lily 】


 ―――それを汚すな。

「……酷いものだ」
 建物は倒壊し、大地は抉られている。圧倒的な熱量によって全ては破壊され、あるいは存在ごと蒸発した。まるで顧みられることなき墓標のように、基地は悲痛の中で沈黙している。
 仮令何人が命を落としどれだけの犠牲を出そうとも、この情勢下で機能不全に陥ることを許されぬ軍が優先すべきは、指揮系統と戦力の可及的速やかな移転だった。我が軍が、MSWADが滅んだわけではないのだと、無理矢理にでも顔を上げることが彼等には必要だった。その最中、隣に骸を発見しようとも。
 躰が見付かるのであれば幸いなどとは、口に出来たことではない。
 戦場ならば見慣れている。
 寧ろ大地を焼き払い他者を押さえつける力をこの手に握っていた。しかしグラハムの胸が、出遭ったことのない衝撃を受けたこともまた事実だ。
 我我は故国が戦場となることに慣れていない―――。
「これも、口には出来んな」
 唇を歪めるように僅かな自嘲を落とした。
 少なくとも、世界の警察を自負し武力によって介入した国の人人には、聞かせられない科白だろう。戦争はいつもこの国の外で行われるもので、そこで血を流す家族が恋人が仲間がいることに心は痛めても、その血が流れ焼け落ちるのはこの土地ではないのだと、無邪気な信仰にも似た思考など決して受け入れては貰えまい。
 受け入れて欲しいわけでもなかったが。
 これは断じて戦争などではない、と、政治家のようにいい張ったところで失われたものが戻ってくることもなければ、そんな糾弾をソレスタルビーイングが聞き入れることもないだろう。グラハムはまるで空間ごと失われたような穴の底から視線を上げ、辛うじて残った施設へと踵を返した。風の匂いに黒煙の残り香を嗅ぐ。
 敵を倒すためには市街地を爆撃することも厭わないのが、軍というものだ。タクラマカン砂漠で三大勢力がガンダムに対してしたことを思えば、彼等がこちらを敵と見定めたところでなんの不思議もない。一方的に軍事基地を攻撃したからといって、彼等を非難することに意味は無い。
 ただ、許しはしないと誓うだけだ。
「赤い粒子……、新型の、ガンダム」
 移動作業に追われる中も、あの新型が各地で同じような武力行使に出たという情報が入って来ていた。彼等が紛争行為にではなく、それを可能にする兵器そのもの、あるいは軍そのものに標的を定めた可能性を否定するのは難しい。
 無意識に噛み締めた唇が切れ、赤錆びた血臭が鼻を突く。
「世界を滅ぼしたいのか」
 抑止ではなく、全ての兵器を破壊する、そんなことが可能だとでも。敵国の武力放棄や壊滅戦を目指した過去の戦争のどれほどが成功したというのだ。否確かに、そうだ確かにガンダムという圧倒的な武に、世界は一時ひれ伏すかも知れない。
 けれどこの世界のバランスは、それほど単純なものではないぞ、と。
 ―――支持はしません。どちらにも正義は在ると思うから―――。
 それは、アザディスタンで出遭った少年の声だ。
 どこか作り事めいた受け答えだと感じたのは、彼が身分を偽っていた所為だろうか。軍人としてのグラハム達へ対応する警戒のためだったか。
 あの苛烈な眼の本心がどこにあったかは兎も角、ただの紛争地域に住む少年の視点だとは思われなかった。短い遣り取りの中で、グラハムが真実に近い響きとして掴まえたのは、人はたくさん死んでいく、といった言葉だけだ。きっと背中に銃を隠した彼のそれだけは本当だった。いざとなればグラハムを撃っただろう苛烈さと、人が死ぬのだと呟いたかなしみの二つながら彼のものだった。
 少年、君なら何という。
 あるいは、あの青と白の機体なら。
 グラハムの前に図ったように天から降りて来ては、光を振り撒いて還ってゆく。モビルスーツに乗った非武装、などという矛盾を大真面目にしてのけたパイロットなら。
「……何を願っているんだろうな、私は」
 攻撃を受けると予想は出来ただろうに、あの時のガンダムは撃たれても、撃ち返す手段そのものを放棄していた。人質を帰すためだろうとコクピットハッチを開け、その身を世界に曝してみせた。馬鹿げたことをと思いながら、グラハムはだからこそ追う事が出来なかった。非武装という攻撃に手も足も出ないことを、口惜しいとは思いながら。
 紛争を止めさせるために、両者を撃つのではなく。
 ぎりぎりのところで人間を信じたからだと。
 殉教者気取りと冷笑もされよう。しかしそうだとするなら、彼等は彼等の信念にこそ殉じるのだろう。それを肯定は出来なくとも。
「断ち切ってしまったのか、悪意を剥いた世界に絶望して」
 あれ以来、出現するガンダムは赤い粒子の新型だけだ。以前の四機はまだ修復が追いつかないのか、それとも、パイロットに異変があったのか。曲り形にも鹵獲寸前まで追い詰めたのだ。出て来ないのは、それだけダメージが深かったということかも知れない。
「それとも、ソレスタルビーイングも一枚岩ではない、か」
 彼らが近しいものであることは確かだろう。
 けれども、どうしても捨てきれない違和感がある。新型だろうとそうでなかろうと、ガンダムを、ソレスタルビーイングを肯定することはグラハムには出来ない。立場としても信義としても。しかし、今思えば確かに彼等のうちに存在した甘さといってもいい一線は、不愉快なものではなかったのだ。
 しかし、次に出遭った時は撃つ。どちらが来ようともそれがガンダムであるならば。
 この、基地であった圧倒的な墓標を前にして、グラハムの胸裡を揺らすのは紛れも無いない怒りだ。
「彼等に誓って、私にはそれしか出来ないのだから」
 
 汚すな、それを汚すな。
 数多の血に塗れながら、光は確かに澄んでいたのだ。

スローネ強襲後。どうしてもハムに新旧区別して頂きたい夢。

2008/02/20 LIZHI
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