彼の名は
「僕はアレン・ウォーカー、魂の名をマナ。クロス・マリアンの手掛けた改造AKUMAです」
ゲートキーパーと暴れん坊大将の壁を乗り越えて、単身黒の教団にやって来たのは紛うかたなき嵐だった。
全員が遠め遠めに退くなか、果敢にもコーヒーを差し出したリーバー班長ににっこりと微笑んで、やだなあ別に取って食いやしませんよはははははと表情とは裏腹に異様な迫力のある空気が怖い。それで彼らはこの少年―――の姿をした自称AKUMA―――が食えないのではなく、食わないのだと、ほとんど正しく理解した。さすがに日々命の危機に晒されているだけのことはある判断力といえよう。
ふーっと長い息を吐いて細身の姿が前へ出る。他とは一線を画す十字の教団章の制服に何故かベレー帽。コムイ・リーはざわりとした周囲を片手を揚げることで、緊張を孕んだ静寂へと返した。
椅子に腰掛けた目の前の少年は、先程歓迎したときも今も、多少顔色の悪いただの人間にしか見えない。
―――アクマとはそういうモノである。
解ってはいた。だが改めて相手にしているものの厄介さを思わずにはいられなかった。彼とやり合った潔癖のエクソシストには果たして何といったものだろう。もっとも考えるだけ無駄なことだと、その件についてコムイはあっさりさじを投げた。
「アクマの改造か。相変わらず無茶苦茶するヒトだねえ」
この場の最高責任者で科学者である室長が口にすると、学術的好奇心の先に立った科学班の目の色が明らかに違う輝きをともした。クロス・マリアン元帥は、その行動と性格に反して、いやさ正比例して優秀な科学者でもあったから、その点彼らの反応は無理もないものだった。少しばかり螺子が飛んでいるのは今更である。神田が、待てと怒鳴らなければ、白衣の軍団はそのまま少年の検分に走ったかもしれない。
「ッお前ら、そんなわけのわからん小僧のいうことを真に受ける気か?!」
「おや神田くん、キミいたの」
「放送でエクソシストに召集かけたのはテメーだろうがあああ」
「おやそうだったかな」
「……兄さん」
っもういい、と長い髪と団服を翻した神田は、彼の対アクマ武器を構えて敵と見定めたものに向き直った。
「お前、やっぱりアクマだったかよ」
憎憎しくもどこか嬉々として、今にも二回戦といった様相で少年を睨みつける。いや、彼にとってはすでにただのアクマなのだ。はっきりとした断絶。人間の中に紛れているアクマにはそうすることでしか対抗できない。かろうじて押さえたのは、リナリーほかエクソシストの面々だ。尤も彼らとて困惑を含んでいることには違いが無い。だが真実某元帥の息のかかったものであれば破壊するのはとっても危険だ。
ゴーレムのティムキャンピーを頭に載せている少年は、神田の挑発や局地的に発生した騒動には小揺るぎもしなかったが、リナリーを前にして微かに困った色を表情に浮かべた。黙っていてごめんなさい。
その仕草がまたこちらに動揺を生む。
どうしていいかわからなくなる、コムイは危機感とともに思う。それはリナリーにとっても同じだ。出会った最初に黙っていたことを怒ればいいのか、その秘密がアクマであるという告白だったことを非難すればいいのか。どれもこれも現状にはそぐわない。だから彼女は、気にしないでと漸うのことで口にした。まるきり人間にするようにだ。
これが普段エクソシストの直面する動揺と同じものだとはとてもいえないが、こうした掻き毟りたくなるような曖昧さの中で、仲間が命と精神を削っているのだと思うと、コムイの背筋は凍えた。
危険だと、そう思うのに俄に信じ難い。ティムキャンピーの存在が彼の話を裏書きしようとだ。
ううむと唸りながら、多くの団員はそれを黒い笑みだと思ったが、書類のカオスから発掘されたマリアンの紹介状を指先で翻す。己も科学畑であるからこそ、その発想も、実現し得るだけの技術も、それがたった今この少年が現れるまで秘されていたという事実までもひっくるめて、何もかもが信じ難い。だが。
「ウチに乗り込むために、こんなでたらめなつくり話をする必要はないでしょ」
「僕ってそんなにでたらめですか?」
白髪に銀灰色の目の少年、自称アクマはきょとんと首を傾げた。呪われたペンタクルが前髪の向こうに覗く。そう、これさえなければ。
多少図太いところがあるにせよ、纏う雰囲気は良家の子息といっても通じるものだ。多分こうして話し合いの場を設けていること自体、彼のペースに巻き込まれている。仮令話が本当でも、真実であればこそ、本来即座に拘束して上に指示を仰ぐべきだろう。だが、コムイにその心算は無い、無くなったというべきか。
「イノセンス持ちのアクマってあたりがすでに、ボクら非常識の常識を超えてるんだよね」
けっして自分たちが常識的だと信じているわけではない。線引きがどこにあるかは知らないが、<外>と<ここ>とは明らかに理解の段差がある。そんな機微をどう受け取ったのか、少年はさして重要事でもないふうに答えた。
「ボディが適合者なので仕方がないです」
「ああ、その左手は寄生型だね」
それは大変だね、そりゃあもう、と茶飲み友達の会話に発展しそうな空気を切り裂いたのも神田だ。コムイの眼前に六幻の刃が煌めいた。庇うではなく制しておいて、激昂するでなく詰問する。
「わかってるのか、自我があるのがどういうことか。お前―――何人やった」
「二人」
事も無げな答えに、瞬間、室温が下がった。
「ボディを、この躰の養父の魂を殺し続けている」
「そんなわけがないだろう! レベル2が!」
「―――アクマなら壊しましたよ。いくつも。貴方が望む通りの人殺しですよ、僕はね。でも僕が僕のようである疑問はマリアンに尋ねなければいけない。答えが返るとも思えませんが。大体にして僕は彼の研究のプロトタイプなんだ」
いい切ったその刹那、感情の揺らぎを見せたと思ったのはコムイの見間違いだろうか。少年アクマは淡々と語る。本来もっと時間がかかるもののはずだった。<その時>マリアンの前には規格外の素材があった。適合者の躰を得た生まれたてのAKUMA。彼はそれを利用したのだと。
「利用、が悪いなら活用かな」
気のせいではなくどうやら彼は言葉の使い方を改めたらしい。と、いうよりおそらくこれが素なのだろうと、そう考えてまたアクマに対する認識が揺らぐ。しかし検査をすれば彼の言葉は徹頭徹尾真実だと証明されるだろう。もとより突飛な彼の言を疑う気持は本当にはないのだ。揺れるのはきっと感情。ヒトの脆弱な感情だ。
だからコムイは、余計なものをこそげ落とした平坦な口調で尋ねた。
「君がここへ来たのは教団の幹部との謁見を求めてだったね」
「エクソシストのそれが決まりだと思いましたが?」
―――エクソシスト。
「ふ」
ふざけるなと怒鳴り散らしたかったたのだろう大将の首に、ぷす、と麻酔を打って黙らせる。救護室にでも転がして来いという自分の命令の行く先を、コムイはハンカチで見送った。まったくあの真っ直ぐさは憧れですらある。見れば少年アクマは意外なことに瞠目していた。別の苦笑がコムイの唇に浮かんだ。
どうやら彼は真実このようであるのだ。それをどうこういっても始まらぬ。
「鑑定を、しようかね」
「室長、それは」
勿論その前に検査を受けてもらうことにはなるけれどと前置きして。
「これだけ聞いておこうか。キミは<誰>だい?」
リナリーの咎めるような声が聞こえた。本人はといえばそんなもの、と一笑に付す。
最初にいった通りですよと、ご丁寧に口調まで元に戻して彼は。
「アレン・ウォーカーの能力を継ぎ、魂の嘆きに力を得る、マリアンにAKUMAの行動原理を制限された」
とても使い出のある兵器
オモチャ
ですよと、少年は微笑った。
ものすごいif話なわけですが同設定どっかにあったらごめんなさい。ザンプでちょめ見てからずっと書きたかったんです。さすが半年浦島。
2006/10/28 LIZHI
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